前回、やっぱり志半ばにして
松平定信が老中をやめたことまで終了した。
そして、新たに解決すべき課題が発生したことにも触れた。
それが、
外国人対策をどうするか
ということである。
なお、ラクスマン以降、
それなりの外国人が日本に来ている。
1792年
ロシアのラクスマンが、大黒屋光太夫らを連れて根室に来航
1804年
長崎に来るように言われたロシア人レザノフが、
そのとおり長崎にきた。
1808年
オランダ人をつかまえにきたイギリス人が長崎に乱入。
食べ物、薪、水などを強盗される。
(フェートン号事件という)
1824年
イギリス人インバウンド多発
中学生が大切なのは、このタイミングで、
幕府の堪忍袋の緒が切れたということである。
ええい、もう我慢ならん。
オランダ船以外はかまわん。
問答無用で撃ってしまえ。
これが世にいう
異国船打払令
である。
このできごとが、どうしても人物に
ひもづけできないので、
なんとか年代で覚えましょう。
1825年異国船打払令
(いこうはにっこにこ?)
ところがうまくいかないときは、
とことんうまくいかないものである。
次に来たのがこの人たち
1837年
アメリカ人登場。商業用の船で来日。
モリソン号という
で、異国船打払令がでているので、
問答無用で撃ったわけだ。(モリソン号事件という)
しかし、そこで驚愕の事実が発覚。
なんとこの船、日本人の漂流民を連れてきてくれてたんだ。
で、その情報が漏洩したことにより、
漂流民を連れてきてくれたのに、
問答無用で打ち払っていては、
日本って仁義のない国って見られるぞ。
と批判されてしまう。
もう一人批判した人で有名なのが、渡辺崋山。
「崋」の字に注意。やまかんむり。
批判された幕府は、
「そうだった。考え直そう。」
というはずがない。結局、
生意気なこと言いやがって!
ろうやに入りやがれ!
そうしないと権威を守れない幕府であった。
これを
蛮社の獄(1839年)
という。
※牢屋入れられたつながりで、後で出る安政の大獄と混同しないように
事件名、背景と処罰された人をしっかり整理しましょう。
で、
1840年のアヘン戦争を経て、
1853年
あのYOUが、日本にやってくることになる。
「YOUはどうして日本へ2」が
もうすぐスタートします。
今回のポイント
外国インバウンド編での覚えるところ
(システマティックなところ)
①外国人がいっぱい日本にくるようになった。
②1825年に異国船打払令を出した。
③実際にモリソン号をうっちゃったら、幕府批判がおきた。
④1839年、高野長英、渡辺崋山らを処罰
(蛮社の獄)
余裕がある人は、やってきた船、場所と時期もおぼえておくとすごい。