4 《中学歴史(社会)》クニが大きくなり、日本はどのようになったのか:古墳時代・大和政権

日本の黎明期編
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さて、

前回、日本には

稲作が広まり、生活様式が変化した結果、

邪馬台国

のように、他国を従える大きなクニが

できていったことが、

現中国の王朝の歴史書からわかった

といったことを学習した。

今回は、その後

クニが大きくなり、日本はどのようになったのか

という学習である。

では、そもそも、邪馬台国から200年後、

日本はどんな様子だったのか(5世紀~6世紀編)

☆物証

大仙古墳

形状は前方後円墳

方形って、正方形・長方形の方形のことなので、四角形のこと。

ジモティーの方々は、

仁徳天皇陵古墳と呼びたいとのことだが、

断定できないため、教科書等では大仙古墳

大きさは、こんなもん

JRの駅1つ分(駅間は約900m)ね。

教科書の表記486mは、カギ穴のみの長さ。おほりとか入れたら900m。

実際写真におさめても、これくらいしかみえない。

これが、上写真でバスのマークがついてるド真ん中ね。

なお、大仙古墳を含む百舌鳥古墳群は

2019年、百舌鳥(もず)・古市古墳群

として、世界遺産に認定である。

☆物証2

稲荷山古墳(埼玉県)の鉄剣

☆物証3

江田船山古墳(熊本県)の鉄刀

☆物証4

中国にあった宋という王朝の本

「宋書倭国伝(倭王の手紙

当時、中国は北朝(北魏)南朝(宋)に分かれてたので、南北朝時代

ブーさんが送ったのは、このうちの南朝の宋

わたしの祖先は、自らよろいやかぶとをつけて、東は55国、西は66国、海をわたって95国をおさめました。でも、宋まで貢ぎ物をもっていくのに、高句麗が邪魔します。わたしに高い地位をあたえてくださいね。

では、

今回も物証から

様子を探りましょう。

剣に大王って書いてあるぞよ。

手紙によると、倭王のさんは、めっちゃたくさんの国を従えてたっぽいな。

なお、大人の事情で画像は出せなかったけど、熊本県と埼玉県の古墳から出土した刀剣には、ワカタケルって同一人物の名前がかかれてるわけだ。そんで、ワカタケルって、その倭王の武さんという説があるわけね。

てコトは、日本には相当大きな権力者がいたことが考えられるわけだ九州までも勢力範囲だ。

ということである。

で、この多くの豪族を従えていた大きな政権を、以下のように表記されている。

(豪族…蘇我さん、物部さん、葛城さん、大伴さんなど)

大和政権『東京書籍』

ヤマト王権『帝国書院』

なお、武さんは、あくまで中国名

この時代、倭に5代の王(倭の五王)が引き継いでるらしい。

それが、讃・・済・興・と書かれている。

で、これに書かれている家系図と同じような流れを、日本書紀の記述にあてはめると、

珍…仁徳天皇?

武…雄略天皇?

があてはまる説がある。

で、このように、古墳がさかんに作られた時代を、

古墳時代

と分類している。

終わるのは593年だが、弥生時代との明確な線引きはない。

さて、ここで新たな疑問を挙げてみよう。

新たなギモン

宋書倭国伝高句麗とあったが、おヌシ何者?

②なぜ高句麗などの国と争う必要があったのか?

朝鮮半島からもたらされたものは何か?

ギモン①宋書倭国伝高句麗とあったが、おヌシ何者?

当時、朝鮮半島は、大きく3つの王朝があったわけである。それが

高句麗新羅百済

あと、ちっちゃい国があり、統一王朝はなかった伽耶地域があった。

その中で、一番北にあり、百済にちょっかい出してたのが高句麗である。

…………

ギモン②なぜ高句麗などの国と争う必要があったのか?

ひとつは、上にあったように、高句麗が百済を攻めているので、百済が助けをもとめてきたこと。

なので、日本との関係は、おおむねこんなかんじ。

日本と仲が良い:百済伽耶地域の国々

日本と仲が悪い:高句麗新羅

で、助けると、どんなメリットがあったのかということだ。

…………

ギモン③朝鮮半島からもたらされたものは何か?

まずは、ほしかった資源がある。それがである。

日本には製鉄技術もまだないわけだし、重要スポットだったのである。

ま、6世紀になると、半島から日本に渡ってきた人が増えてくる。

その人たちを渡来人と呼んでいるが、

けっこういっぱい技術や知識を持ち込んでくれている。

須恵器

・製鉄技術

・機織り技術

仏教(538年?)、儒教

漢字 などなど

ま、文字を扱えたりするのをはじめ、さまざまな技術を持ってたので、大和政権は重宝したわけだ。

………

ということで今回の課題の答えをまとめてみると…

日本は、近畿に大和政権を中心とする大きな国家が成立していた。そんで、朝鮮半島の権益を受けようとして、中国王朝(宋)に使いをおくっていて、百済とともに、高句麗・新羅と戦っていた。

といったところだろうか。

では、ポイントをしぼって語句をまとめましょう。

クニが大きくなり、日本はどのようになったのか古墳時代

①豪族を従える政権、大和政権ヤマト王権)が誕生

証拠

大仙古墳をはじめ、近畿に多くの前方後円墳が集まる。

・宋書倭国伝に「倭王武の手紙」が残っている。

・江田船山古墳と稲荷山古墳から、ワカタケル大王と書かれた刀剣が発掘された。

大王(のちの天皇)がいた。

九州から東北地方南部まで支配

②大和政権は、朝鮮半島の権益を得ようとした。

理由

・百済を助ける

鉄などの資源を求める

※日本寄り:百済伽耶地域

 日本の敵:高句麗新羅

③結果…

渡来人が日本に渡ってくる。

須恵器などが伝わる

漢字が伝わる

仏教・儒教などが伝わる

テストで古墳に入れた埴輪と、縄文時代のおまじない人形の土偶が混乱する人もいるので注意。

次回の章からは、

豪族と大王(天皇)の関係は、どう変化していくのかということをポイントに、学習をすすめていくことになります。

で、あの人たちが登場となるのである。