4 《中学歴史(社会)》明治政府は、どのようにして100年もの産業の遅れを取り戻したのか:殖産興業

明治時代(1)明治の新システム構築編
スポンサーリンク

いよいよ、富国強兵富国に突入する。

なんせ、日本は鎖国をしていて

外部の情報がなかなか入ってこなかったから、

浦島太郎状態。

イギリスでは18世紀(~1800年)には

産業革命が起こって

工場制機械工業となっている。

なお、日本は19世紀(1801年~)に入って

ようやく一部で

工場制工業はじまった

程度の技術力である。

つまり、現代風に例えてみると

日本は、の○太」の世界で、

欧米は、すでに某ネコ型ロボット

ドラ○もん」が製造されている

というくらい、

日本は遅れているということである。

なんやかんやで、イギリスでさえも、

名誉革命が起きて、自由な経済活動を行い、

産業革命が起こるまでに

100年を要している。

で、

どのようにして100年もの産業の遅れを取り戻したのか

が、今回のテーマである。

で、その方策の成功例として資料提示されるのが、やっぱりここだ

富岡製糸場(群馬県)なのである。

※目の前にあるのは、繭を保存するところ

※なお

製糸=生糸(絹糸)

紡績綿糸

と思えばOK。

桐生は絹織物の産地ね

もちろん、生糸の原料は、これね。

カイコさんのサナギ、いわゆる繭だ。

なお、現地調査によると、

これ1個で、なんとー

1400mもの生糸になるそうだ。

で、本題。

なぜ、この建物は

100年もの遅れを

取り戻すものなのか

ヒントは、上州富岡製糸場之図にある。

なお、残念ながら、今ではレンガづくりじゃないのよ。

教師としては、

さて、この資料から読み取れることは

なんだろう?

これが定石の問題である。

反応1
反応1

めちゃくちゃ

工業化されている。

反応2
反応2

黒い服を着た人が、作業を管理している。

教えているようだ。

反応3
反応3

女性が作業をさせられている。

反応もだいたいこんなもの。

ただ、これだけでは、100年の遅れを取り戻すことはできない

「反応3」の読み取りだけでは、まだ足りないのだ。

もっとその女性を細部まで観察してみよう。

あっ、この人たち、

なんかいい服着ている!

これが重要ポイントなのである。

工場で働いている女性=貧しい女性

と思われがち。

たしかにいずれ明治時代後半以降はそのような構図となる。

しかし、この工場で働いているのは、

いいとこの子、つまり士族の娘なのだ。

ほら、この人、いいとこの娘でしょ?

マスコットキャラクター、お富ちゃん!

そんで、この人たちが、

地方に技術を伝えていくのだ。

つまり、明治政府がとった作戦は、こうである。

①外国人に指導してもらい、国が経営する工場を作る。

 ※官営模範工場という。

士族の娘を呼び集め、働いてもらう。

③学んだことを、その士族の娘によって地方に広めてもらう

④官営模範工場を、民間に払い下げる

ちなみに富岡製糸場は

1893年にはすでに三井さんのものになっている

※その後は、原さん、片倉工業にうけつがれた

※三井のように、日本の経済を支配するくらいの力を持つ資本家を財閥という。

日本では、四大財閥がいる。

三井・三菱・住友・安田だ。

この作戦によって、

100年もの技術の遅れを取り戻していくのだ。

で、これを殖産興業とよんでいる。

なお、このことなどに尽力したのが

渋沢栄一だ。

新1万円札の顔になったことで、

俄然注目度(出題率)がアップしている

あと、

これらの政策により、

外国の文明が日本に流入し、

文明開化を迎えたことも、おさえておきましょう。

どのようにして100年もの産業の遅れを取り戻したのか

○作戦

①外国人をやとう

官営模範工場を作る

 有名なのが、富岡製糸場

③士族の娘を働かせて、地方に広める

④民間に工場を払い下げる

殖産興業

○影響

①工業化が急速に進む

 鉄道などもできる

文明開化もおこる

③いずれ払い下げの金額が

 やり玉に挙げられるときがくる。

あと、この急激な工業化により、

    田中正造

かの有名な

足尾銅山鉱毒事件(栃木県)

も起こるのも知っておきましょう。

これにて、明治時代(1)明治の新システム構築編は完結。

次回からは、明治時代(2)対外関係整理編に突入する。