4 《中学歴史(社会)》豊臣秀吉は、どのような近世システムを構築したのか:太閤検地・刀狩

安土桃山時代
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前には、豊臣秀吉が天下統一するまでの流れを

教科書だけでは分からない点を入れながら、

非常にざっくりだが流してみた。

時代は前後するが、

この天下統一するまでに、

同時進行で様々な政策をやっている。

「織田がこわし」

羽柴(豊臣が作った統治システム

とこの前は表現したが、

そこまで歴史を変えたものだったのだ。

だって、それまでテキトーになってたものを、

日本統一のシステムにしていったのだから。

土地制度にしてもそうだ。

それまで、もう、どこが誰の土地なのか、

またまた貸しとかして、わからなくなっていた状況であった。

※日本国支配のしくみ 3平安」も参考に。

身分がはっきりしてしまったのも、この人の功罪だ。

では、その政策はというと…

もちろん

太閤検地刀狩である

まあ、大まかなことは、分かるだろうと思う。

太閤検地(1582~)

統一した「ものさし」や「ます」を遣って、予想される収穫量を石高で表した。

②実際に耕作している百姓が検地帳に登録された

検地帳に載ってる人に年貢を納めさせた

刀狩(1588年)

一揆を防ぎ

②農耕に専念させるため

(最近②は教科書に表記がない)

お寺の鐘をつくるという名目で、百姓から武器を取り上げた

大切なのは、

だからどんな世界になったか

というところである。

太閤検地によって

①すべての土地と人民を、秀吉(武士)がつかむこととなった。

②誰の土地がわからない土地がなくなり、

耕作者=土地の持ち主

ということがハッキリした。

(荘園制をすべて否定した)

刀狩によって

③これまで百姓も戦いに行っていたはずだが、

それがなくなり、武士とそれ以外の身分がハッキリした。

兵農分離

で、自分が下剋上の最たるものだったが、

惣無事令って命令を出して、

争いを禁じた。

ってところだ。

あと、秀吉のやったこととしては、

朝鮮出兵はおさえておきましょう。

文禄の役(1592年)

慶長の役(1597年)

しかしながら、このときが訪れる

1598年 豊臣秀吉没 享年61歳。

ここで問題になってくるのが、

後継ぎとなるはずの豊臣秀頼

まだ保育園児よ。このとき5歳

江戸にお引っ越しさせられた徳川家康は

朝鮮出兵を免除してもらえた。

さあどうなる?

豊臣秀吉のやったこと

1582年~太閤検地

1583年~大阪城建築

1585年 関白になる(惣無事令を出す)

1588年 刀狩

1592年 文禄の役

1597年 慶長の役

○桃山文化の象徴的な人

 千利休は、もとは家臣

※キリスト教に対する政策

 最初はOK

 しかし、九州の大名がイエズス会に土地をあげちゃったので、

 宣教師を追放しようとした

(1587年バテレン追放令

天下人は

天が決める