◎《中学歴史(社会)》鎌倉新仏教のえとせとら、行ってみようパワースポット

鎌倉時代
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今回の章は、半分

私の趣味の領域で書いていること。
とはいえ、教科書が不親切すぎるので、
おぼえる手助けにはなるかと思う。

ただ、宗教って難しい話なんで
あくまで私の解釈ってコトで…

そもそも仏教って何ってこと
簡単にいうと、仏様になることをめざす宗教とういことだろうか
今の世の中のニュアンスだと、

この世から去ったとき、仏様にしてもらう(成仏させてもらう)

というイメージがほとんどであろうか

本来は、たぶんちょっとちがう

元来、仏様になるのは、別に死んだ後じゃなくてもなれるんよ

というか、そのために仏教があったんだろう。

死後に成仏させてもらうという方が、どちらかというと後なのだろうか。

というよりも、もっというと、私たちはそもそも仏様みたいわけよ?

そのために、さとりの境地を開くというのが基本スタンス
延暦寺のお坊さんが語ってくれていたが、

私たちは本来仏になる素質をもって生まれてくるが、様々なもの(いわゆる煩悩など)がそれを遠ざけていて、それを毎日払っているんです。

とのこと。

もっというと、

そもそも私たちはみんなもとから仏様なわけ

「三大宗教+α」のおはなしの最後のシメにも書いたでしょ?

わたしたちは、そもそも

唯一神が分身の術を使って自分で作った世界「マーラ」で

「善とは何か」というテーマを研究してるだけ。

(だから人類皆兄弟なんだろうな)

それが煩悩、自我、カルマのせいで気づけない(忘れてしまった)でいるから、

それをとりのぞき、

本来の仏の姿にもどる(悟りを開く)んだということだろう。

死んだ後に仏様になるというのでなく、そもそもこの世でもそれができるらしいん。だから、まさに今、いろいろ私たちを助けてくれてるはずなんよ。

じゃ。仏様になるにはどうするか。
上に書いたような、いろんなものを手放せばいいらしい。

…むずかしいでしょ?

神様、仏様ーっ

ってよくお願いするが、どうやら
神様、仏様は、何かを私たちに与えてくれるというニュアンスでなく、
「本来、ずっとわたしたちは幸せに囲まれている。

だって、自分自身も実は仏なんだもん。

しかし様々な雑念(煩悩)のせいで、それに気がつけないでいる!」

「それを取り除いてくれるのは、神様仏様
ということ

あ゛?

こんなにつらい

毎日なのに、

ありえない!

と思うのが当然であろうが、

最近自分自身、

雲黒斎さん」

って人の話を聞いているうちに、なんか本当にそう思えるようになってきた。

今回のテーマじゃないが、

だから神社(神道)にいったときは

祓(はら)い給い

清め給へ

守り給い

幸え給へ

(さきわえたまえ)

ってお祈りするんよ。

ちゃんとしてた?

その手助けをしてくれたり、新たな手法で取り除いたりするのが、
今回のテーマ、鎌倉仏教であると解釈しよう。
元来、仏教って、この様々な煩悩を取り除いて仏様になるには、
自分自身がキビしい修行して、煩悩を取り除くことが必要だったはずだ。
それが、どんどん仏様が取り除く手助けをやってくれるようになったり、

大変な修行ってことではないけど、
座禅して、この煩悩を自力で取り除き、仏様の感覚をわかる(悟る)

ていう風に変化してきたわけだ。

てことで、今回のテーマ鎌倉新仏教の話に入ろう。
よく教科書で言われたのが、
「わかりやすく、かんたん、そんなにキビしい修行しなくても煩悩を取り除ける(とはいえ、座禅は修行だけどね)。そして、選択肢がいっぱいできた。」
ということ

教科書に出てくる6人
法然さん、親鸞さん、一遍さん、日蓮さん、栄西さん、道元さんって、
みんな一時は延暦寺で修行しているんよ。
そこで、次のような境地にたどりついてくんよ。


阿弥陀如来様がその手助けをしてくれる

どうすればいいかって?

ただ一心にひたすら

お名前を呼び続ければいいんだよ。

となる

だから、
南無(おねがいします!の意)阿弥陀仏
って仏様のお名前を言っているの
特に阿弥陀様の名前を呼ぶことを「念仏」っていうことが多い。

法然さん修行地の青龍寺には、

「南無阿弥陀仏を10回となえましょう」

って書いてあったはず…

で、念仏唱えるとどうなるか。
最終的に、阿弥陀様が作った世界「極楽浄土」に
お誘いいただける
ということであろう
だから、南無阿弥陀仏って言ってないのに、極楽には、たどりつけんのよ
ちなみに、浄土ってのは、如来様(さとりを開いた仏様)ってよばれる仏様によってできた世界ってこと。日本では、いつの間にやら、
阿弥陀様が作った極楽浄土のことを特に指すようになった。
だから浄土宗とよばれる

そのお弟子さん親鸞さんは、

(漢字…しいしいってだぜ)
阿弥陀様って、悪人こそ救ってくれるはず
となる
ただし悪人って、悪いこと(罪を犯した)をした人という意味でなく
自分で悟りを開こうと努力していない煩悩だらけの人
っていう意味ということかな
で、あるとき

<strong><span class="fz-20px">親鸞</span><br><span class="fz-20px">さん</span></strong>
親鸞
さん

あれ、

師匠のように

ただひたすら

念仏を唱えるって…

めっちゃ

努力してんじゃんか!

と気づいてしまった…

なので、
東京書籍教科書には、「信じる心を強調」と書いてある
で、浄土真宗とよばれるようになる

一遍さんは、法然さんの弟子の弟子の弟子。
それを踊りながら念仏となえるの
時宗という

なお、総本山はここ、清浄光寺(通称遊行寺)

一遍さんの場合、中学校では、

一遍上人絵伝

分身の術使いとして

武士の館を訪れたり、市場を訪れたりしている

イメージの方が強いだろうか。

ここまでが、阿弥陀様にお願いする人たち

日蓮さんは、ちょっとちがう


延暦寺で修行した結果、
妙法蓮華経(略して法華経)っていお経、すばらしい!これを音読すればいいんだ
ということに気がついた。
しかし、全部を一般ピーポーが毎日読むのって大変だ…そこで
「全部読むと大変だから、お経の名前である「妙法蓮華経」とだけ唱えれば大丈夫
※教科書にある題目って、本の題名って意味だけよ
なので
「南無(お願いします)妙法蓮華経」
って言ってるでしょ。
だから、仏様にお願いしてるわけじゃないの。
仏壇にも如来様でなく、曼荼羅(まんだら)と日蓮さんが飾られている。
まさに日蓮宗

NHKいわく、

日蓮宗は、

「妙法蓮華経により、現世で救われる」

といった意味合いの方が強かったとの解釈アリ。

なので、

「商人さんがお願いして、現世でいいことあるようにお願いしたのではないか」

だそうだ。

総本山は山梨県身延山にある久遠寺

さて、ここまでは仏様や経典(他者)におねがいして煩悩を取り除き、仏様になる道だったわけね。人の力を借りてるから、

他力本願(本願=さとりをひらく)」

っていわれるわけだ。
ここから紹介する「禅宗」はちがう。
自分で座禅することで、煩悩を取り除き、
「空(くう)」を悟り、自力で仏様に近づくわけだ。

他力ではない。いわば自力本願だ。
だから、仏様をおまつりはするが、決まった仏様はないそうだ。
この修行っぽい行動、武士がハマってしまうのよ。
で、鎌倉には一気に禅寺が増える。

「けんちん汁」の発祥という説がある、

建長寺も、鎌倉だ。

それはさておき、


栄西さんが広めたものを臨済宗

禅問答聞いてても、お坊さんが伝えることは、「空(くう)」を理解した、
いわゆる煩悩がない状態のものがものごとを見たものとなっている。

お茶もだけどね


道元さんが広めたものを曹洞宗とよぶ

禅問答などもあって修行するのが臨済宗、

どちらかというと

ただひたすら坐禅するのが曹洞宗

といったところだろうか

曹洞宗大本山永平寺はここ

じゃあ、最後にのってる真言宗・天台宗って?
「真言(マントラ)」を授かることで、悟りの境地に近づけるってなかんじ
真言宗ってわけではないが、
マントラを授かって瞑想すると、
そんな空の境地に誘ってくれるらしいね

鎌倉時代
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《中学歴史》システマティック社会科 色即是空