3 《中学歴史(社会)》なぜ、薩摩・長州・土佐藩の働きが江戸幕府の終焉を導いたのか:大政奉還

江戸時代激動の幕末編
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この前までのまとめで、

尊王攘夷の考えが広がったのだが、

実際攘夷を実行した藩は

「攘夷はムリだ」

ということに気がついた。

だからこそ、

「新しい国を作って、日本を変えなければならない」

ことにも気づいた。

その藩は、犬猿の仲の

薩摩藩長州藩

なのであった。

もちろんこんなことでは幕府は倒れない。

ここで登場する人が、この人だ。

これも高い正解率を誇る

土佐藩(高知県)出身坂本龍馬だ。

外国は私たちの思う以上に先に進んでいる。

私たちも力を合わせ、新しい国をつくる

必要があるぜよ。

そのためには、薩摩長州の協力が不可欠だ。

※土佐藩首脳陣はどれかというと公武合体派

 坂本龍馬自体は藩とは別思想、別行動

薩摩藩も長州藩も、

新しい国を作るという思いはだいたい同じ。

でも手を組むのはどうか…

ここで仲介となったのが坂本龍馬だ。

おとしどころとしては

薩摩藩に長州藩の米を供給する

長州藩にイギリスの武器を供給する

といった内容で、お互いが合意。

1866年薩長同盟成立である。

もちろん超極秘幕府には内緒

そうとも知らず、幕府は

長州藩を懲らしめてやれ!

たのむぞ薩摩藩

(第2回長州征伐)

と命令を下すわけだ。

笑いが止まらないのは長州藩。

薩摩藩が命令に従うはずがなかろう。

もちろん第2回長州征伐は大失敗。

幕府はいよいよ打つ手がなくなった。

ここで将軍様交代。

最後の将軍

第15代将軍徳川慶喜だ。

徳川慶喜も、フランス人に習って改革を始めるが、時すでに遅し…

薩摩・長州と朝廷による倒幕計画が本格化するわけである。

そこに土佐藩が動く。

土佐藩本体は、表だって倒幕というわけではなさそう。

土佐藩の作戦はこうだ。

将軍様、ここは一度政権を天皇にお返しし、

新しい組織を作り、

その組織のトップにしてもらいましょうぞ。

<span class="fz-22px"><span class="fz-20px"><strong>徳川慶喜</strong></span></span>
徳川慶喜

よし、その作戦のった!

となったわけである。

これが1867年10月14日

徳川慶喜が政権を朝廷に返すことを約束するのである。

これが大政奉還

なんと、ちょうど朝廷から薩摩長州藩へ

倒幕の極秘命令がおりたその日だった

これにて約260年続いた江戸幕府に

終止符が打たれたのであった。

先手を打たれて困ったのは薩摩長州と朝廷だ。

朝廷側の有名人が、岩倉具視

ここで、これを阻止にかかる

<strong><span class="fz-20px">明治天皇</span></strong>
明治天皇

ということは、政治の中心は天皇である自分だ

そして中央メンバーをこれから決めるんだ。

身分の高い低いは、関係なし!

と宣言させることにした。

これが「王政復古の大号令」

で、徳川慶喜は、中央メンバーからハミられた

その上、徳川慶喜の官職と土地も返納させることになった。

<strong><span class="fz-24px"><span class="fz-20px">徳川慶喜</span></span></strong>
徳川慶喜

おい、ちょ待てよ。

話が違うじゃないか!

となるのが至極当然。

で、とうとう新政府に対して戦いを起こしてしまう。

これが戊辰戦争(1868年)だ。

つちのえたつ(戊辰)の年に起こったっていうだけ。

でも考えてみよう。

幕府はどの国が協力してくれてたんだっけ?

フランスだったねえ。

薩長軍のバックは…

最強国イギリスだ。

旧幕府軍に勝ち目はない…

これにて徳川家は朝廷の敵となってしまった。

鳥羽伏見の戦い

勝海舟と西郷隆盛による江戸城明け渡し

白虎隊が戦った会津若松城の戦いなどを経て

とうとう函館の五稜郭にて旧幕府軍は降伏するのであった。

これにて、完全に江戸幕府の終焉をむかえるのであった。

新しい時代の幕開けである。

なぜ、薩摩・長州・土佐藩の働きが幕府の終焉を導いたのか

動き

①薩摩・長州藩の攘夷失敗により、

 朝廷とともに倒幕へと流れが変わる

坂本龍馬の仲介により

 1866年薩長同盟(極秘)が結ばれる。

③薩長同盟により、第二次長州征伐失敗。

④徳川慶喜が先手を打って、

 1867年大政奉還を行う。

 (政治は自分がするつもり)

それを阻止すべく、薩長朝廷が

 同年王政復古の大号令を出させる。

⑥旧幕府が1868年戊辰戦争を起こす。

 →五稜郭の戦いにて、旧幕府軍完全降伏