5 《中学歴史(社会)》平清盛は、どのように武家政権をなしとげたのか

平安時代
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いよいよ平安時代クライマックス、
で、院や貴族に利用されていった武士の話となってくる

軍隊がない平安時代、
自分の手を汚したくない貴族の人たちは
武士をやとって「力」を使うようになってきた」

ま、
平氏源氏
奥州藤原氏(東北地方「岩手県平泉」に住んでいる藤原さん)
だけ覚えておけば、だいじょうぶ

とはいえ、

ここまで武士が一大勢力となるには、

相当のストーリーがあった。

今回は、

平清盛は、どのよう武家政権をなしとげたのか

ということだ。

直接的なきっかけから調べよう。

とはいえ、

戦国時代のように、自分で天下を統一するわけではない。

大切なのは、みんなに認められることだ。

まずは、上手に利用されることだ。

このたびは、

平清盛

ご活用いただき、

ありがとうございます。

では、活躍の場とはどこだったのか

天皇と上皇の争い(保元の乱)で
平氏と源氏が活躍した。

※このへんは、どっちが勝ってもおうちがなくならないように、

兄弟で分かれてどっちかについたもんなのよ。

ところが…

その後平氏と仲良くする貴族をねたんだ他の貴族が
源氏を巻き込み戦いを起こし(平治の乱
結果、勝利に貢献した平清盛が権力を握っていく。
このとき、源頼朝は負けて、伊豆(静岡県)に流され、北条さんに監視された。
(そこで運命的な出会いがあるわけだが)

そして、とうとう平清盛は
1167年、太政大臣となるのだ

だって、今の中国の場所にある
「宋」って国と貿易しやすかった(日宋貿易)んだもの

それから、とうとう
娘を天皇の嫁にした
どっかで聞いたことある話でしょ?
つまり、藤原さんと同じく、おじいちゃん大作戦を実行するのである。
しまいには、孫を天皇(安徳天皇)に即位させることに成功
そのときの年齢、なんと3歳
そして、しばらく神戸を都とした

ここで大切なことが一つ
つまり、平清盛は
武士であるが、貴族っぽくもあったのだ。
(ちなみにお坊さんでもあった)
この貴族っぽかったというところ(源氏との違い)

「※日本国支配のしくみ 4幕府とは」

でくわしく見てみましょう。

ところが、その後平清盛が死に、4年後に壇ノ浦の戦い(山口県)がある
盛者必衰なのである。
これにて、とうとう平安時代と区切りをつけることとなる。
(ここまでを平安時代とよぶことをしっかり押さえておく)

平清盛のやったこと、
けっこう大事なのに抜けている人が多いので、
しっかりまとめよう

平清盛のなしとげたことは何なのか

保元の乱平治の乱に勝って、不動の地位を築く
1167年太政大臣
③神戸を拠点として、日宋貿易
④娘を天皇の嫁さんとし、孫を天皇にした
 (その時に都も神戸にお引っ越し)
※なお、厳島神社(広島県)を整備したのも平清盛

ちなみに、

奥州藤原氏の本拠地、

平泉は

このあたり