3 《中学歴史(社会)》イギリスは、どのような国に変化するのか:ピューリタン革命・名誉革命

☆YOUはどうして日本へ?弐
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いよいよ

「YOUはどうして日本へ?弐」

本編に突入である。

時は17世紀(1601年~)のお話。

とはいえ、パラレルワールド日本では、

江戸幕府が開かれたばかりである。

前回あげた当時の社会事情で、今回必要な情報をを確認しよう。

BEFORE(ビフォー)

①世界は絶対王政

王権神授説がキホン

③戦いが多く、お金がない

これがビフォーな状態。

で、わざわざ教科書に載ってるくらいなので、

この状況が変化するのである。

今回は、資料からアフターの状況を読み解いてみましょう。

せっかくなので、日本というパラレルワールドもセットであげておきます。

アフターワールド

さて、ここで使うことは覚えているでしょうか。

禁止されたってことは、やっていた」の法則だ。

ここから、1689年以前のイギリスって、

どんなことしてるか読み解いたかな。

つまり、

①国王は、議会を開いてくれなかった

②国王が、議会の同意なく、法律を停止した

③国王が、議会の承認なく、勝手に税をかけようとした

これが絶対王政なのだ。

実際はこんなことがおきたのだ。

①税を勝手にかけない約束はしていた。

②戦い(内乱)により、お金が必要になった。

③仕方なく、議会を開き、税をかけようとした。

ここで、一体イギリスで何が起きたかということだ。

とうとう国王VS議会のバトルと発展したのだった。

どう考えても協力な国王軍だったのだが、

ここで救世主が現れる。

クロムウェルという男だ。

この男の登場によって、

絶対的王者の国王をギロチン刑にまで

もっていくのだ。

議会派の人たちは、カルバン派のプロテスタント

いわゆるピューリタンが多かったため、

これを

ピューリタン革命(1642年~)

とよんでいる。

ちなみに、

革命と改革って中学生にわかりやすくいうと…

改革

 政治を行う中心は変わらないが、世の中を良くしようとする。

革命

 政治を行う体制自体が変わる。

 王制をブッ壊すと思えばOK。

※なお、このように市民たちが王を倒して

政治をしていくシステムを作っていくので、

今後出てくるフランス革命などとまとめて

市民革命とよんでいる。

と思えばOK。

ちなみに次のことも知っておきましょう。

対義語

王制(君主制) ⇔ 共和

(王がいる)      (王がいない)

ところが、教科書をみると、もう一度革命がおきている。

どういうことか…

実は、その後にこんなことがあった。

①ピューリタン革命後、クロムウェルが独裁政治を行ってしまう

②クロムウェルの死後、一家を追い出し、仕方ないので、新しい王(この前の息子)をたてた。

 (共和政から王制に戻ってしまう)

③すると、やっぱり息子だけあって、パパと同じく好き勝手なことをする。

④みんなで王をやっつける計画をたてる。

計画を知って、王が夜逃げした

これにて、戦わずして、この王を追い出すことができたのだ。

戦わずして革命を起こせたということで、

名誉革命(1688年)

とよばれる。

そして、新しい国王を呼んだのだが、この王は

権利章典(1689年)

を認めてくれているのだ。

王は、「君臨すれど、統治せず」という立場となる。

ややこしいけど、

王がいるので君主制でありながら、

権利章典という憲法があるので、システム上は、

立憲君主制

というシステムの国となったのである。

日本で例えると、

徳川家光と綱吉をやっつけて

議会を開くようになった

ということである。

そして大切なのは、

いちはやく

人々が自由に活動できる国になった

ということである。

とはいえ、こんな流れを中学生が覚える必要はない。

重要なのは、今回のタイトルに対する答えとなること。

重要なポイントだけピックアップしておきましょう。

イギリスは、どのような国に変化するのか

できごと

クロムウェルを中心に、議会派が王を倒す。

ピューリタン革命(1642~)」

②クロムウェルが独裁政治を行う。

③新たな王を呼んで、王制に戻す。

国王を追い出すことに成功。

名誉革命(1688年)

権利章典を認めてもらう王を呼ぶ。

○結果

立憲君主制が確立する。

・いち早く一般ピーポーが自由な活動をできる国となった