1 《中学歴史(社会)》日本の黎明期に世界の概念をあてはめるとどうなるか:先土器・縄文時代

日本の黎明期編
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いよいよ、歴史の教科書の舞台は、

世界から日本へと移ることとなる。

やはり、日本という国を学習するにあたって、

世界の歴史との大きな違いを

まず理解しておかないといけない。

それは単純なことだが…

日本は島国

ってことである。

これにより、世界の歴史と大きな違いが

これから先出てくることとなる。

さて、ではさっそく今回の学習課題のとおり、

世界と同じ流れで日本を一度みてみよう。

つまり、歴史をひもとくのに必要なものはこれ

これがないと、全く夢物語でしかない。それは…

物証だ。

地層学的に、いつごろの時代のものかは科学的に証明できている。

それを時系列で挙げてみよう。

………

①ー1群馬県岩宿遺跡(3~2万年前)

黒曜石って石で作られていた。

①-2長野県野尻湖遺跡(2万年前)

野尻湖遺跡の場合、これと一緒次のものが発掘されたわけだ。

では、

この物証から、

どんな生活をしてたか

想像してみると…

世界でいう

旧石器時代

大型動物を

狩りしてた

ということである。

あともう一つ、

教科書で出題したい日本史として

では、

黒曜石がとれない所でも

黒曜石が出土している

ことがあるのは、

どういうことを表してるのかな?

これが、物証から歴史を想像することにつながるのだ。

その時代も、

広い地域で

仲良くしてたんでしょ?

黒曜石は貴重品だし、

プレゼントしたんちゃう?

現在のオトナも

こうしたことを想像して

歴史を考えていて、

有力な考えが教科書に載ってるってことだ。

※讃岐国[さぬきのくに](香川県)等でとれるサヌカイトも有名

なお、日本では世界で出てきた

猿人・原人の骨は発見されてない

新人からなのだ。

これも島国だからだろうか。

大陸と陸続きだった

氷河期に大陸から渡ってきた

と考えられるゆえんの1つである。

………

ここからは、時代がだいぶん今に近づく

②1万年前~日本の各地の遺跡

※遺跡自体が1つの集落と考えられる

青森県三内丸山遺跡が有名(紀元前3000年前後)

発掘された物証

貝塚(大森貝塚が有名だった)

貝、魚や動物の骨アリ]

たて穴住居

土偶

土器

じゃ、この物証からは?

土器ってことは、

何か煮ていた

のでは?

貝塚の中身から

狩りや漁をしていたし、

農産物はなさそうだ

土偶って、

なんかの

まじないなのかな

そんなところだ。

この、

狩りや漁をしていて、

縄の目の土器(縄文土器)を作ってた時代を、

日本では、

縄文時代

となづけている。

世界的にいうと、

新石器時代くらい

あくまで定義づけは

現代人なのである。

なお、生活の様子として、

この時代の人々の文化も

教科書で一緒に載っている。

生活の様子

①たて穴住居を作った

 ※のちの弥生時代も、おうちはこれを使っている

②土偶を使っておまじない?

③成人したら、上の犬歯をぬいた(抜歯)

④トクベツな人は、前歯に溝をほった

⑤死んだ人は、二度と化けて出てこないように、

 折り曲げて埋めた(屈葬)

こんなことを学習しておきましょう。

中学校では、

縄文時代、弥生時代、古墳時代の文化の○×クイズもよく出題されるので、

違いを把握しておきましょう。

………

余談だが、

縄文時代って、よくドングリ食べたっていわれるね。

これ、キホン現代人まねしちゃダメなヤツね。

ドングリパン作って食中毒になった小学校、ポツポツあるんだ。

日本の黎明期に世界の概念をあてはめるとどうなるか

世界的には旧石器時代

 日本的には先土器時代という

 (覚えなくていいが、そう整理しておくとスッキリ)

 時期:2万年前くらい

 遺跡:岩宿遺跡(群馬)

    野尻湖遺跡(長野)

 生活:ナウマンゾウ・マンモスやオオツノジカをとってたべてた

広い地域と交易していた(黒曜石が物証)

※注:マンモスゾウはいませんからー残念~

1~2の間に、最後の氷河期がおわる

2 世界的には新石器時代(1)

①狩りや漁をして生活

縄文土器を使用

日本的には縄文時代とよぶ

時期:1万年前~

遺跡:三内丸山遺跡(青森)

   貝塚があちこちから発見

生活:狩りや漁、木の実の採集をする

   たて穴住居に住む

   土偶でおいのり

   抜歯や屈葬などの風習