3 《中学歴史(社会)》豊臣秀吉は、どのように天下統一を果たしたのか

安土桃山時代
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今回は、天下統一するまでの流れにしぼってまとめてみます

統治システム的なことは、次回にやります。

志なかばにして、明智光秀に本能寺で討たれた織田信長。

イチゴパンツ(1582年)本能寺の変が起こってしまったわけだ。

これにいちはやく反応したのが、

家臣の豊臣秀吉だった。

自分は岡山県に遠征してたんだが、

さっと仲直りして、明智光秀のもとに戻ってきた。

※なお、この時の遠征の様子は、

かの有名な

「備中高松城の水攻め」であるのだ。

びっくりしたのは光秀。

なんだと、秀吉は岡山で戦ってるはず。

なんで京都にこんなに早く戻ってくるんだ!

で、かのウイスキーで有名な山崎の地で、

秀吉は光秀を破るのである(山埼の戦い)。

車窓からバッチリ見える。

JR山崎駅に近づいたら、要チェックや。

柴田勝家も賤ヶ岳の戦いでやぶり、後継ぎ争い断然リードを保つ。

なお、浅井長政が敗れた後、柴田勝家と再婚したお市には、フラれてしまった

嫁になってくれたのは、その長女「茶々(淀君)」なの。

なので、織田信長は、義理のパパね。

そして、秀吉は、信長のお孫さん三法師を跡継ぎにするってことで、

ライバルを倒していった。

とはいえ法師は、まだバブー(とても幼い)。

実質権力を持つわな。

他のあとつぎを正当化しようとした徳川家康とも戦った。

(小牧長久手の戦い)

しかしうまいことやって、家康もとうとう家臣にしてしまう。

そして家康は駿河国(静岡県)から江戸に

お引っ越しさせられてしまうこととなる

そして、とうとう最後まで抵抗していた

神奈川県、難攻不落の小田原城の城主

北条さんを18万の大軍で囲って降伏させた。

同時に伊達政宗も秀吉にしたがうこととなり、

1590年、とうとう混沌の世界に終止符を打ったのである。

このとき、わざと遅刻し、白装束で秀吉の前に現れた伊達政宗は、有名な話ね。

1590年、豊臣秀吉、天下統一達成。

なお、秀吉は農民の出身。

武士の出身でないことはバレてるので、

征夷大将軍になれない。(という説が有力)

選んだ選択肢が、

関白になること。

(※関白も家柄が必要なので、縁組等をした)

そして、甥っ子に関白を譲って

太閤と呼ばれていくこととなる。

豊臣秀吉は、どのように天下統一を果たしたのか

 信長の家臣として、様々な形で活躍する

 本能寺の変の後、明智光秀をやっつける

 実質織田家の後継ぎとなる

 大阪城を作り始める

 徳川家康を家臣とする

 1585年 関白となる

 1590年 天下統一達成

 

大義であった!