※《中学歴史(社会)》清は、これまでのできごとにより、どんな変化をとげるか:孫文と辛亥革命

明治時代(4)明治の残された外交問題編
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今回は番外編である。

清が変化をとげることは

教科書にも出てくる話だが、

すこしページが少なすぎて、

いきさつがつかみにくい。

なので、補足を加えながら

理解を深めましょう。

列強、日本の活動により、

清はこれまで変化をしてきた…

清の変化(中学校版)

①アヘン戦争(1840年)により、イギリスに不平等条約を結ばされる。

 香港をイギリスが租借

②日清修好条規(1871年)

③日清戦争(1894年)により、日本に敗戦。

 最終的に、台湾、澎湖諸島が日本へ

④列強にどんどん領地を分割されていく

⑤義和団事件(1899年)に便乗し、列強に反旗をひるがえしたが、

 倍返しをくらう

 ETC…

とまあ、フルボッコ状態

ようやく改革をしようとするんだが、

外国のことを知れば知るほど、

清の体制は遅れていることに気づかされる人が増えていく

なんせ、1900年代に入っても

皇帝がいて、いまだに国会もなく、憲法もなく、

儒学ができる者だけが役人ならば、

そりゃどんどん欧米諸国から取り残される

そして、国民の中にも、

清を倒して、新しい国を作ろうという気概が高まっていったのだ。

理念となった考えが、この人の考えだった。

①中国にいる民族みんなで力を合わせ、族独立をめざそう。

権主義(民主政)をめざそう。

生主義(国民の生活の安定)をめざそう。

こう、東京で開かれた会議で発表したのだ。

3つのをとって、三民主義っていう。

そして、この理想にこっそり染まっていた

一部の軍が反乱を起こすのだ。

※だから、革命をはじめたのが孫文ってわけじゃないよ。

みんな、清から独立し、

新しい政府をつくろう

こうして作った国が、中華民国なのである。

これを辛亥革命(1911年)とよぶ。

※辛亥(かのとい)の年に起こったって、あのパターン

臨時総統は、中国に帰ってきた孫文なのであった。

統領じゃない

ところが、ここに立ちはだかったのが、この男。

袁世凱だ。

この人は、絵から見ても、清の国の人でしょ?

もちろん清の実力者であり、中華民国の敵だ。

ここが、教科書でわからないところなので、少し補足しておこう。

じゃ、なんで教科書だと、この人が清をたおすのか…

なぜ、この人が中華民国の大総統となるのか…

要はこういうことだ…

独立して中華民国を作ったのはいいが、

なんせまだまだ力は弱い…

しかたないから、こんな手に出たのだ。

袁世凱さん…

大総統の座をゆずってあげるから

中華民国側につかない?

オッケー

これでそなたのねがいはかなった

という構図だ。

まあ、袁世凱が大総統の座ほしさに、清を裏切ったってだけだ。

で、追い出された皇帝が、

ラストエンペラーである。

その名も溥儀(ふぎ)ちゃん当時6歳

なんでこんなことまで紹介するかっていうと…

なんとあとで

大人になった溥儀ちゃん

が、教科書に再登場し、重要な役割をになうときがやってくるからだ。

これにて、清は終わりをつげることとなるのである。

じゃ、中華民国はどうなるかというと…

これでワシが

中華民国大総統

あとは、やりたい放題だ!

とまあ、

てんで三民主義の理想とはかけ離れた国となってしまうのであった。

なお、この状態の中華民国と日本がこの後の章で話題となるので、覚えておこう。

清は、これまでのできごとにより、どんな変化をとげるか

経緯

孫文が提唱した三民主義の考えが広まる。

②各地で反乱がおき、中華民国を作る。

 辛亥革命(1911年)

③孫文が臨時大総統となる。

袁世凱と取引し、清を倒してもらう

⑤袁世凱が大総統となる。

☆結果

①新しい国はできたが、三民主義の理想とはかけ離れた、袁世凱の独裁国家となった。

②中華民国というものの、まったくまとまりがない国となっていく