◇《中学歴史(社会)》100人村の85人物語:江戸幕府はどのように百姓を従えたのか

江戸時代創造編
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残った最後の課題は、

3.5人の武士でどうやって

85人の百姓と5人の町人を

従えていたのか

ということである。

ただ、今回の話は、江戸時代260年を通した編集に

していくつもりです。

まず、状況確認

百姓って、そもそもどんな生活か。

これが、初期のスキルである。

この時代のまっとうな殿様は、こう考える。

天(自分たち)が地(一般ピーポー:パンピー)を照らすことによって、世の中は実りのあるものとなる。

きわめてかんたんに、儒学の教えを書いてみた。

だから、自分たちがパンピーのために

尽くしていかなければならないと。

なんせ、考えてもみると、

武士って、一切生産活動してないの。

だから、この人たちが生産した物をもらわないと

生活できないの。

だから、本来、百姓をまもらねばならないのである。

で、どうするかというと、

この百姓のスキル

自給自足

を守れるように国を治めるのである。

そして、

五人組を作って、連帯責任

土地を売っちゃダメ

米作りに専念すること

といったきまりをつくるのである。

宿題で、自主学習1人2ページ!

ってやっても、宿題やってこん人けっこういるやん。でも

5人グループ、みんなで10ページ!

って出されると、やらざるを得ないやん。

ただ、あまり調子に乗せるわけにはいかない。

で、

着る物は、模様があってはダメ

米ばっかり食べないで、麦粟なども食べなさい

酒やお茶をのんじゃダメ

といったものも出されるわけである。

ただ、聖徳太子と推古天皇のこと編でも書いたとおり、

禁止するってことは、それまではそうだった

ってことだろう。

実際、百姓って貧しいってイメージが先行してしまうが、

近年の研究では、けっこう裕福だったって話もある。

ていうか、差が大きかったんだろう。

で、百姓スキルが変化していく。

実際は、米作りに専念しろといいながら、

商品作物も作ることとなる。

さらには特産品を作れなど、

新たな指示がでていく。

だって、さっきも述べたが、

武士は生産活動をしない。

つまり

百姓が商品作物を作らないと、

武士たちも手に入らないのだ。

で、百姓もお金が手に入るし、

商品作物を作るために

肥料を買う必要も出てくる。

それが干鰯(いわしを干したもの)だ。

結果、成功して裕福になる人もいれば、

失敗して土地を売ってしまわなければならない

人もでてくる。

旅行もする。お伊勢参りに順番で行ったりする。

スキル「自給自足」がなくなってしまう。

で、新スキル「百姓一揆」が増えてくる。

ここで一揆の復習

室町時代

一揆「当時、百姓はとよばれたんで、土一揆」

 最初が「正長の土一揆」といわれる

国一揆「土民+国人(○○国にいる有力者)」

一向一揆「もちろん、浄土真宗の人たち」

江戸時代

百姓一揆「読んで字のごとく」

で、裏切り者がでないように、みんなで名前をかいていった。

名前を連ねた書状を連判状と呼ぶんだけど、

フツーにかくと、

一番最初に書いた人が、

一番エラい人だ。

で、それじゃまずいので、

いわゆるからかさ連判状のような

誰がエラいのか、わからないようにした。

ちなみに、この2つの用語、間違えないでね。

百姓一揆 …村の百姓が、年貢をまけてもらうため、殿様に起こすもの

打ちこわし町人が米を買い占めた商人を襲う

        こわすだけで、ぬすみはしない。

あと、せっかく貨幣経済の話や出かせぎの話を出したので、

次の2つについてもふれておこうと思います。

というわけで、

百姓は、とうとう機織りをするようにもなってきた。

やる場所は自分のおうち。

道具は商人が貸してくれて、できたものも買い取ってくれる

というすぐれもの。

今でいうと、「内職」だ。それを残念ながら、わざわざ

問屋制家内工業とよんでいる。

(問屋制度…商人が材料や道具を貸して作らせる制度》

(家内工業…主に自分のおうちで工業をする形態)

そして、東京書籍の教科書では、

徳川吉宗と同じページにあってまぎわらしいが、

徳川吉宗よりさらに100年後、

とうとう百姓を1カ所に集めて

要領よくみんなで仕事を分担させて、

絹織物や綿織物を作るようになっていった。

家でなくて、作業所(工場)で行うが、

まだ機械工業じゃなくって手作り(手工業だったので、

工場制手工業

とよんでいる。

これらの働き手も、

百姓85%がになってたわけである。

今回学習しておいたことは以下の点であります。

当初の幕府の作戦

・五人組で連帯責任

・田畑を売るのを禁止したりして、農業に専念させる

・きまりを作って守らせる

・もちろん自分自身もいい政治をする

18世紀(1700~)くらいの作戦

・特産物を作らせる

 商品作物の栽培がさかんになる

結果

貨幣経済が農村にも広まった

貧しい百姓と金持ちの百姓の差が出てきた

 貧しい百姓は土地を売ってしまい、

 都市に出稼ぎに出て行くこともあった。

問屋制家内工業

 工場制手工業の働き手となっていく

百姓一揆が増える。

 (からかさ連判状を使用)

ちなみに、

百姓スキルの中に、

「下肥活用」

というものも入れたのだが、

これ、要は「お○っこ」「う○こ」を

利用して農業してたってこと。

でも、これを有効活用したのは

世界的にはとても先進的だった。

※改訂前の東京書籍の教科書には載っていたのだが

なくなったようです。

なんせ、あの華やかなベルサイユ宮殿のある

フランスは、

窓から道に向かってそれを捨ててたんだからなあ。

日本はそれを農村で回収して使ってたんだから。

日本は衛生的だったようだ。