※ 《中学歴史(社会)》それぞれの第二次世界大戦②:ドイツ・イタリアと終戦

昭和時代(2)太平洋戦争そして終戦編
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この章の最後の話題として、

世界目線で第二次世界大戦の行く末を見ていこうと思います。

教科書では、突然イタリアとドイツが降伏してるので、

それの補足内容というものです。

もちろん重要なのはドイツの動き

もう一度確認すると、

1939年ポーランドに侵攻し、

イギリス、フランスがドイツに宣戦布告して以降、

フランスを降伏させるなど、快進撃を続けたドイツ。

しかしそうすると、次の相手国はイギリスなわけだ。

しかし、やっぱり海を隔てているため、そう簡単には攻略できない…

そこでドイツがとった行動が、

独ソ不可侵条約を破棄してのソ連侵攻(1941年6月)であった。

そして第二次世界大戦のターニングポイント①が訪れる。

と、その前に、これを受けて、世界の動きを1つ。

ドイツとソ連が仲間割れしたことにより、

ソ連を連合国に引き込もうという動きが出てくるのだ。

それとともに、アメリカのローズベルト大統領とイギリスのチャーチル首相の間で、

大西洋憲章(1941年8月)が出されるのだ。

もう反ファシズム諸国は、戦後の体制のことを考えているようだ。

これにて、第二次世界大戦は

ドイツイタリア VS イギリスフランス

どころではなく、

ファシズム諸国 VS 反ファシズム諸国

となるのである。

話をもどそう。

ドイツVSソ連の戦いがどうなったのか。

予想外の攻撃に、最初はドイツの快進撃。

(それを見て、日本も真珠湾攻撃を敢行・これにより、アメリカが本格参戦)

しかし、ここで、

100年前のナポレオンの悲劇再びなのだ。

やはりモスクワは想像以上に寒かったのだ。

ドイツはモスクワ攻略失敗。

ここからソ連の反撃が始まる。

1942年~1943年のスターリングラードの戦いにて、

ドイツに勝利。

これ以降、連合国による反撃がはじまる。

まずターゲットはイタリア。

戦力もそれほどないイタリアは、

ムッソリーニの失脚もあり、

1943年9月あえなく降伏

ヨーロッパで残るはドイツになった。

その勢いで、とうとう

フランス奪還計画を発動。

これがターニングポイントその②であるこの戦いだ。

ノルマンディー上陸作戦(1944年6月)である。

※ノルマンディー=北フランスね

パラシュート部隊や、ドーバ海峡渡り組200万の兵が

一気にフランス上陸、

これにて、1944年8月、パリをドイツから解放することに成功。

どんどんドイツ軍を追い出すのであった。

もうドイツには戦う余力はのこっていない。

とうとう、

1945年5月ドイツ降伏

に至るのであった。

そして、その3ヶ月後…

1945年8月15日

日本がポツダム宣言を受け入れ、

すべての戦いが終わったのである。