4 《中学歴史(社会)》板垣退助の自由民権運動は、その後どのように展開していくのか

明治時代(3)自由民権運動編
スポンサーリンク

前回、板垣退助らの動きによって、

自由民権運動がはじまったことと

その影響を学習した。

改めて、自由民権運動の目的を確認しよう。

※これ、後で出てくる大正デモクラシーの目的と

 整理して覚えると、とてもすっきりする。

 どっちもやりたいことは似てるから。

自由民権運動の目的

①国会を開くこと

②憲法を作ること

を通じて、いい国作る。

この2点である。

で、前回の学習を確認しておくと…

①板垣退助が自由民権運動の土台を作った。

②しかし本人は、政府に戻ってしまう

となった。

では、

その後の展開を見ていこう。

板垣退助が政府に復帰してから、

じつは運動自体、少し下火になっていた。

ところが、西南戦争後、力をつけてきた人が活動をはじめた。

その人たちは、もとから武器を持たず、

言論で戦うしかない人、

つまり士族以外で地方の有力者だ。

たとえば大地主、大農家、大商人といったところ。

で、とうとう新しい結社ができた。それが

国会期成同盟(1880年)だ。

で、

国会を開くんだ!

と嘆願書を出そうとした。

また、自分たちで、憲法案を作ろうという動きも決定した。

しかし、政府は

<span class="fz-20px"><strong>伊藤博文</strong></span>
伊藤博文

やだね。まだそんな時じゃない。

もう、警察に届け出ないと、

集会も開いちゃだめだ。

と、こんな感じだ。

とはいえ、中にはこんな人もいる。

<span class="fz-20px"><strong>大隈重信</strong></span>
大隈重信

もう日本もそんな時じゃね?

すぐ国会開設しようよ。

こういう人も政府内に、いたことはいたのだ。

そうこうしているうちに、こんなことが起きた。

今でいうと、

政府が文春砲をくらったようなもんだ。

通称、北海道開拓使官有物払下げ事件という。

なお、売った政府高官は黒田清隆っていう人、

買った友だちが、五代友厚。

NHK「あさが来た」でいうと、ディーン・フジオカだ。

ここでやっぱり

政府許すまじ!

今すぐ国会を開け。

と激しい政府批判が起きた。

これには伊藤も政府を守り切れないと考えた

そこで、

わかった。

国会を開くと約束をしよう。

でも、10年まってね

ただし、

この運動をたきつけている

裏切り者は許さん!

大隈重信、

アウトー!

ということになり、結果

天皇が、10年後に国会を開くことを発表した。

これが国会開設の勅諭(1881年)である。

勅諭…天皇が直接下した告諭のこと

なお、政府から大隈重信一派を追い出したことにより、

藩閥=薩摩長州藩出身者

となった。

※これを明治十四年の政変という。

これにて、いちおう自由民権運動の目的の1つは

達成したこととなる。

これを受け、

板垣退助、政府を追い出された大隈重信が

政党を作るのだった。

板垣退助 自由党

フランス流

大隈重信 立憲改進党

イギリス流

さあ、フランス流、イギリス流って

どんな思想に影響を受けてただろうか。

忘れていたら、啓蒙思想をチェック。

ということは、

フランス流の考えをくむ自由党は、

けっこうカゲキ派も多いのだ。

とくに1880年代以降

日本経済が困窮し、

貧しくなった人たちが、

この考えに賛同し、

反乱(激化事件)を起こしていく…

帝国書院版では太字になっているので

秩父事件[埼玉県](1884年)

チェックしておきましょう。

なお、フランスの考えを日本に広めたのが、

日本のルソーと呼ばれている、

中江兆民であることもチェック。

今回の学習は、ここまで。

次回は、

なぜ、伊藤博文は、10年まってと言ったのだろうか

ということだ。

自由民権運動は、その後どのように展開していくのか

☆流れ

民撰議院設立の建白書(これは前回)

国会期成同盟(1880年)を結成し、

 国会開設を提言

北海道開拓使官有物払下げ事件が起き、

 政府が集中攻撃される

 ※語句はおぼえなくていいので、

  できごとは知っておく

国会開設の勅諭(1881年)

 出されるとともに、

 大隈重信が政府を追い出される。

板垣退助自由党

 大隈重信立憲改を作る。

 ※「進」を「新」と書かない。

⑥生活に困った人たちが

 自由民権運動に乗じて

 秩父事件(1884年)

 などの激化事件を起こす

☆ポイント自由民権運動三形態

第一形態

板垣ら、元土佐藩士が中心となるステージ

※板垣が政府に復帰することで消沈

第二形態

地方の有力者が加わり、国会開設を求めるステージ

国会期成同盟が象徴

(1880年前後)

第三形態

貧しい人たちが運動に参加し、

激化事件を起こすステージ

(1880年代)