いよいよ本題に入っていきましょう。
外国に負けない強い国をつくる
ためには、
幕府をたおし、新しい国をつくらなければならない
となり、新時代を迎えたのであった。
で、幕府と何がちがうのかってことだ。
そもそも、
誰が
どのように政治をするのかってことだ。
どのようにの方針が、いちおうコレ
五箇条の御誓文
一 広く会議を興し、万機公論に決すべし
一 上下心を一(いつ)にして盛ニ経綸(けいりん)を行うべし
一 官武一途庶民に至る迄、各其志を遂げ、人心をして倦まざらしめんことを要す
一 旧来の陋習(ろうしゅう)を破り、天地の行動に基くべし
一 智識を世界に求め、大に皇基を振起すべし
どんな政治にするか、わかっただろうか…
非常に端的にまとめると、
幕府の独裁みたいなやつじゃなく、
天皇中心に、みんなで決めるんだ。
ということを言っている。
では、実際の組織を見てみよう。
どこかでこの仕組み、聞き覚えがないだろうか。
要は、
奈良・平安時代の太政官制度に戻ったってことだ。
違うのは、その組織に入っている人ってこと。
この組織に入ったのは、倒幕に貢献した公家と
旧薩摩藩・長州藩・土佐藩・肥前藩(佐賀県)
出身の者だったってこと。
ということは、実際には、
幕府の独裁みたいなやつじゃなく、
天皇中心に、おれたち薩長土肥
出身者の意見を聞いて決めるんだ。
これが正解。
これを藩閥政府(東書)藩閥政治(帝国書院)とよんでいる。
※今後も「藩閥=特に薩長出身者」とおもえばよい。
だからこそ、他の藩は可及的速やかに排除しなければならない。
なお、天皇は、
である。住む京都から江戸へおひっこし。
江戸も、「京都」より東にある京なので、「東京」となった。
さて、1867年、大政奉還自体は行われたものの、
それは、幕府が政権を天皇に返しただけ。
日本にたくさんある藩はそのまま残っていて、
全く以前と変わっていない。
藩を排除したいが、
急激な変化は、さすがに反発が大きいと思われる。
なので、1クッションおいた。
俺たち、土地(版図)と人民(戸籍)は天皇にお返しするよ。
みんなも返しなよ。
それも、次の条件付きである。
土地と人民は返しても、知藩事となり
その場所は今までどおり
支配させてもらえるから大丈夫!
それならいいかと、
みんなこの動きに合わせた。
これが版籍奉還(1869年)である。
つまりこれでは、以前の体制とほぼ変わっていない。
そこでなんとか旧藩主からすべてを取り上げるために、
なんとか旧藩主を追い出さなければならない。
ここで使ったのが、2年間で集めた天皇直属の兵隊
これを背景に
もう、藩という組織をなくすよ。
これからは県っていうのを作り、
そこのトップは新政府が選ぶよ!
反対したらどうなるか、わかってるよな…
ということを断行した。
これが廃藩置県(1871年)だ。
廃藩置県の大事なことは、呼び名が藩から県に変わったってことではない。
旧藩主を完全に日本の政治から排除し、
中央から自分たちの息のかかった者に全国を支配させた
ということである。
中央から国司をハケンし、
中央集権化をはかった飛鳥時代と同じ手法である。
これにて、
天皇中心の
薩長土肥+公家による
中央集権国家
の完成なのである。
次回は、
この藩閥政府が
どのように強い軍隊を作るのか
ということである。
明治時代になり、統治システムはどう変化したのか
○行ったこと
①五箇条の御誓文(1868年)にて、今後の方針を出す。
②奈良時代の太政官制度に戻し、
薩長土肥出身者が組織に入る。
③版籍奉還をする(1869年)
④廃藩置県を断行する(1871年)
○結果(意義)
①天皇中心の藩閥政府が政治を動かすこととなった。
②廃藩置県により、日本が再統一され、中央集権国家となった。
ちなみに
西郷さんって、
本当はこんな顔じゃないらしいね。
西郷さんは、写真がキライで、
本当はどんな顔か、実像がのこっていない。
で、仕方なく、あの顔は、
「(弟+いとこ)÷2」
でできたらしいね。