4 《中学歴史(社会)》清・朝鮮と日本が近代的関係になったら、どんな影響が生じたか

明治時代(2)対外関係整理編
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前回は蝦夷地、琉球、ロシアとの関係について、

まとめてみた。

残るは、清と朝鮮国である。

これまでの学習で次のことを考えた。

世界的にこの状況を見ると、

 清も日本も、欧米から1段階下に見られている者同士なので、

 対等なのではないか。

⑤もし、清と日本が対等な立場だとしたら

 清が従えている朝鮮は、

 日本から見ても、日本が優位ではないか

今回は、この2国の話を同時進行していくことで、

謎が解けていくので、

そのように進めたいと思います。

とはいえ、一番重要なポイントは以下のとおりだ。

①申し訳ないが、上の図式からすると

 朝鮮国より日本が優位なので、

 欧米にならって、

 位置づけをしていきたい。

②だが、現在朝鮮国とは絶交中

 さらに、いわゆる鎖国状態である。

 そして、朝鮮国(ス○夫)は

 清(ジ○イアン)に逆らえない

 これをどうにかしなければならない。

みんなどうする?

自分の好きな人とお近づきになりたいけど

なれないときって?

まず友だちの○○さんと仲良くなって

それから、紹介してもらってぇ…

つまり、日本の最初の作戦はこうだ。

作戦1

朝鮮国と仲良しの「清」ジャイ○ンと仲良くなることで、

朝鮮国(スネ)と交渉をすすめる。

もっというと、

「清」(ジャイア○)と「日本」(○び太)が

対等とみてもらうことで、

相対的に、

『朝鮮(スネ○)より、日本(のび○)の方が

優位な地位にあるとアピールできる』

ここで今までだと、

日本(の○太)と清(ジャイア○)とでは差が歴然

清の方が立場が強かったのだが、

なんと、世界的に見ると、

欧米から不平等条約を結ばされている者同士、対等

となる。

結ばれたのが、

日朝修好条規(1871年)

(お互い不平等条約を結び合って対等っていうへんな条約)

条規≓条約でいい。

2回しか出てこない。

でも、返答は…

やーだね!

ときた。

次の手段は…

<span class="fz-20px"><strong>板垣退助</strong></span>
板垣退助

話してもだめなら、力ずくでだ。

軍隊をハケンして、開国させるか。

<span class="fz-20px"><strong>西郷隆盛</strong></span>
西郷隆盛

まあ、このことにより、

士族のみんなの不満も

解消してやれるのは確かだ!

いわゆるペリーと同じ作戦である。

作戦2

軍隊をハケンし、無理矢理開国させよう作戦。

通称征韓論(1873年)

※とはいえ、征服するつもりはない。

やろうとしていたのが、お留守番組の西郷板垣退助たちだ。

なんやかんやで、日本(○び太)は豊臣秀吉の朝鮮出兵でも

まったく朝鮮(○ネ夫)にかなわなかったはずだが、

今は、未来の世界(欧米)からド○えもんが来てくれた状態である。

負けることはないだろう。

そして、まさに朝鮮に軍を送ろうとしていたところ…

帰って来やがったのだ

岩倉使節団の帰国である。

そこで言い出したのが、

外国見てきたけど、

今そんなことやってる場合じゃないわ。

国内の充実が最優先だろう

とのこと。

実際は、次の年に台湾出兵してるわけだし、

ホントにこれが理由なのかは正直あやしい…

とはいえ、なんやかんやで、

お留守番の大隈重信も、征韓論反対にまわったため、

出兵は中止となる。

これにて、作戦②も失敗。

なお、これにて

こんな政府やめてやる!

となり、西郷、板垣は政府を去るのであった。

一緒にやめた人の数、なんと600人…

(征韓論政変とか明治六年の政変という)

じゃ、一体朝鮮に対して何をしたのか?

結局こうすることになった。

作戦3

自分から手を出すのはますい。

相手に手を出させた上で、

けっきょくペリー大作戦

相手を挑発し、先に手を出させたできごとを、

江華島事件(1875年)という。

わざわざ江華島周辺にて無断で測量を行い、

それに対して朝鮮が手を出してしまった。

で、けっきょく、武力を使って、条約を結ばせる。これが

日朝修好条規(1876年)である。

これ、内容も大事なので、たしかめてみよう。

日朝修好条規

第1条 朝鮮国は自主の国であり、

    日本と平等の権利を持っている。

第10条 ~日本国の領事が裁判を行う

要は欧米が日本にやったと同様に、

不平等条約を結ばせ、開国させたのである。

ただもう1こ重要なのは、

朝鮮は自主の国だと言っていることである。

つまり、に、

君はジャイのいいなりにならなくていいんだよ

と言っているのである。

当然勝手なことをされて激オコなのが、

もちろんイアン、いやである

なので、これからますます

清と争う必要が出てくるわけである。

では、朝鮮に対する対策と、

そのせいで生じた様々な影響をまとめてみよう。

清・朝鮮と日本が近代的関係になったら、どんな影響が生じたか

○近代的関係への流れ

日清修好条規(1871年)を結んで

 朝鮮に近づこうとしたが失敗。

征韓論の実施(1873年)が決まったが、

 大久保利通らの反対で一転否決

江華島事件(1875年)を起こさせる。

④武力を使って日朝修好条規(1876年)を結ばせる。

○影響

西郷隆盛・板垣退助が政府を去り

 新しい動きを始めることとなる。

清との戦いが避けられなくなっていく。

これにて、明治時代(2)対外関係整理編が完結

で、ここで生じた影響①②が、次の

明治時代(3)自由民権運動編

明治時代(4)朝鮮に対する政策編

につながっていくのである。

次回から、明治時代(3)のスタートである。