この章では、
征韓論を、ちゃぶ台返しされ、
激オコな二人の行動が、
世の中を変えていく話をしている。
前回の主人公は、西郷隆盛。
今回の主人公が、
もちろん板垣退助である。
板垣の激オコポイントは以下のよう。
大久保め、お友達と
独裁的な政治をしやがって!
ということは、やることとしては、
どうにかして、
大久保の独裁を止めることだ。
とはいえ、力で止めるほどの圧力はない
独裁を止めるには…
イギリスみたいに、
議会を開かせれば
いーじゃん。
という結論にいたった。そこで、
①今の政治は天皇中心でもなく、
一部の官僚(特に薩長の人たち)
だけで行われている。
②そのせいで、
私たちを満足させる政治が
できていない。
③だから、誰もの意見を聞く
民選議院(国会)を作るのだ!
という文書を土佐藩出身者を中心に
政府(左院)に提出したのだ。これが
民撰議院設立の建白書(1874年)だ。
「選」の旧字体を使っているので注意。
なお、これは、西南戦争の3年前の話である。
今後も、板垣は土佐で立志社を作ったりして、
運動を広めていくのであった。
これが、
自由民権運動のはじまり
といわれる。
今回のテーマは、一度ここで打ち切ることにします。
教科書では自由民権運動が
ごちゃまぜに書かれているが、
本来この先の自由民権運動は、
質が違うからだ。
なんせ、1875年に、
板垣退助は政府に復帰しているし。
なので、運動の担い手がどんどん変化していくのだ。
自由民権運動は、
大きく3段階の流れがあるからだ。
もちろん、その流れを生んだのが、
板垣退助らの功績である。
板垣退助の動きは、社会にどのような影響を与えたか
☆板垣らの動き
①征韓論で破れた板垣ら土佐藩出身者が
政府をやめる。
②土佐出身者中心に
民撰議院設立の建白書(1874年)
を提出する。
③立志社を高知に作り、活動する。
☆影響
①自由民権運動のさきがけとなった。
②士族だけでなく、
幅広くこの考えと運動が広まった。
③政府批判の方法が武力から言論へと
変化させていくこととなった。
④政府にも、
国会開設と憲法作成の
気持ちを芽生えさせた。
※これが板垣と仲直りとの条件だった。