平安時代末、
平清盛が太政大臣になり、
神戸にお引っ越ししたなど、功績をまとめた
で、この状況に激オコ状態な人たちって誰か想像できるよね。
もちろん天皇や貴族なわけよ。
でも自分の手だけでは、何もできないので、もちろん
源さん、平氏を倒してください
となるのがわかるだろう。もちろん他の人にもお願いはしている。
そもそも、源頼朝って何者?ってこと
簡単に概略を書くと…
平治の乱で、パパ義朝とともに平清盛に破れ、伊豆に流される
そこで北条さんに監視されるが、
北条時政(のちの初代執権)の娘の政子と結婚する
※だから、源さんと北条さんは親戚
拠点は鎌倉
ってところ
ここから始まる源平の戦いだけで
何ページも記事ができるくらいだが…
最初はもちろん、源頼朝本人も活躍。
他にも源義仲(木曽義仲)とかも挙兵するわけだが、
重要なのは、やっぱり
弟のこの人の参戦である。
ヨシツネ参戦である。
ペルソナ4、ペルソナ5では、チート的な強さを誇るペルソナ…
ではなく、本人
源義経だ。
どことなく、かまいたち山内にも見えるが、気にしないでおこう。
日本むかしばなしでは、京都の五条大橋で武蔵坊弁慶をたおした牛若丸だ。
ここから、源氏のさらなる快進撃がはじまる。
「鵯越の逆落とし」が有名な、一の谷の戦い
扇の的の那須与一の話が有名な、屋島の戦い
など、語ればそれだけで数ページいきそうだが
残念ながら、最近の中学校ではオールカット
(なお、私の殿(小和田哲男先生)との卒業ゼミ旅行は、有馬温泉と鵯越だったわ。)
そのクライマックス
「1185年壇ノ浦の戦いで源義経が平氏にとどめをさす」
ことが、かろうじて出てくるだけである。
※ここで、船を8そう次々と飛び移ったという伝説から、
某ヨシツネの「八艘飛び」という妙技はうまれてるんよ
※あと、知っておいてほしいのは、この当時の戦い方は、
基本1対1のタイマン勝負(一騎打ち)なわけ
やあやあ、われこそは、鎌倉の源頼朝だ。いざ勝負!
とお互いに声をかけてから戦うという暗黙のルールがあったようだ。
義経、ちょっとこのルールを守るのも怪しかったらしい
※なお、上記の壇ノ浦、実は幕末にも再登場するのだ!
しかし、ここで
お兄ちゃんと弟の兄弟ゲンカが勃発!
※「日本支配のしくみ4幕府とは」も参照
これがまさかの世界を動かすんよ
兄弟ゲンカの末、お兄ちゃん頼朝は、
弟をとっつかまえるために、国と荘園ごとに、監視役をつけさせてくれ
とこじつけ、無理矢理1185年朝廷に認めさせたのである。
これが守護と地頭である
これにて源頼朝も日本を実質支配したこととなったのだ
なので、現代人は、これを幕府とよぶことにし、
1185年源頼朝が鎌倉幕府を開いた
と表現されている
昔は、1192年に征夷大将軍になったので、
「いいくにつくろう鎌倉幕府」だったのだが、現代人の解釈の変化で
いやま、「いいはこつくろう鎌倉幕府」なの
なお、弟義経は中尊寺金色堂を作った奥州藤原氏にかくまってもらったが、
二人そろってほろぼされることとなる。
一度ここで源頼朝の功績をまとめると…
源頼朝は、どのように武家政権を誕生させたのか
☆できごと時系列まとめ
①北条政子と結婚
②源義経のおかげで、平氏をほろぼす
③1185年、守護・地頭を置く
(鎌倉幕府完成)
もちろん、幕府のしくみも作り上げる
④奥州藤原氏(と義経)をほろぼす
⑤1192年、征夷大将軍となる
で、馬から落ちて死亡?
☆何をもって武家政権誕生としたのか
A:1185年、全国に守護と地頭をおいたことにより、実質全国を支配したこととなったから。
なぜ、源頼朝が幕府を開いたことが、歴史上極めて重要なことなのかは、
※日本国支配のしくみ 4幕府とは←特にこっち
を見て学習しましょう。