大正時代に訪れたつかの間の静寂は…
①関東大震災(1923年)
②金融恐慌(1927年)
③昭和恐慌(1930年)
という三重苦によって破られてしまった。
で、今回の学習がこれ。
昭和恐慌を経て、日本はどんな道を歩むのか
ということである。
当時の政府のスタンスは、
世界と協調していこう派
1930年にも、浜口雄幸内閣は
ロンドン海軍軍縮条約
を結んで、
軍事費を減らし、そのお金を内政に使おう
という考えだ。
そんな中、
昭和恐慌などを経て日本はどうなるのか…
ここで、ニュースが入る。
これが1931年に起こった
柳条湖事件だ。
やりやがったな、
中国め。
やっつけてやる!
これをきっかけにはじまった戦いが
満州事変(1932年)だ。
そして、ここで突然再登場するのが、
清のラストエンペラー、
成長した溥儀(ふぎ)ちゃんだ。
や、やあ。お久しぶり。
この前は袁世凱に裏切られて
国を乗っ取られたけど、
国を復活させるぞ。
満州に新しい国つくるね。
ということで、
満州国(1932年)って国をつくった。
………
これが実は、国際的な建前なの。
教科書を見ると、この3つのできごと、
主語はどうなってるかな。
主語はぜんぶ
関東軍(満州の日本軍)なのである。
つまり、関東軍が
こんな作戦に出たということだ。
関東軍の作戦
①自分で日本の満鉄を爆破し(柳条湖事件)、中国のせいにした。
②戦いを起こし、満州に進軍する(満州事変)
③自分が国を作ったら他国から非難されるので、
溥儀に満州国を作らせた。
※もちろん、日本のいいなり満州国。
けっきょく、協調的な態度をとっていた政府に見切りをつけて、
軍部が行動にでてしまったってことだ。
ここで、2つの課題が生まれる。
何かお気づきだろうか。
それはこの2点。
①日本政府は、これに対してどう動いたのか。
②外国は、この行動に対してどう動くのか。
ということだ。
まず
①日本政府は、これに対してどう動いたのか
について
だって、この一連の行動は、軍部の独断である。
政府がどう対処するのかということだ。
当時の総理大臣はこの人
ちょっとやりすぎじゃないかな…
欧米とは波風立てたくないし…
満州国は認められんなあ…
犬養毅だった。
これにしびれを切らしたのが、海軍の青年将校。
犬養毅、
覚悟!
ま、まて…
話せば分かる…
…問答無用
となり、
1932年5月15日、
犬養毅は兇弾に倒れたのだ。
これが五・一五事件である。
そして、これを認める内閣が作られたのだ。
これにより、
憲政の常道も終わりを告げることとなった。
民主主義は、軍部の行動によって破られた…
では
②外国は、この行動に対してどう動くのか
について。
もちろん諸外国は、
日本の建前を信じることはできない。
実質中国への侵略なら自分たちにとって大問題だ。
そこで、国際連盟でも、このことが取り上げられ、
調査団が派遣されたのだ。
調査団の名前がリットン調査団。もちろん芸人じゃない方ね。
※教科書改訂で、東書からはいなくなったようだ。
結果
満州事変は自作自演だ!
満州国も、実質日本の支配下にある!
とバレた。
これにて、日本は…
こんなもんなら、
国際連盟なんて
やめてやる!
こうするしかなかった…
こうした一連の動きにより、
日本は世界より孤立していくこととなったのである…
友だちになってくれそうなのは
ファシズム諸国の
あの国とあの国くらいだったのである。
もう引くに引けない状態になってしまったのである
では、ここまでの学習と、
おさえきれなかった補足をふくめ、
今回の学習をまとめてみたいと思います。
昭和恐慌を経て、日本はどんな道を歩むのか
☆とった行動(とはいえ、やったのは関東軍)
①柳条湖事件(1931年)を起こす。
②満州事変(1932年)勃発。
③満州国建国(1932年)。
これを満州事変3点セットとして、まずおさえる。
☆事後処理
①満州国を認めない犬養毅が暗殺される。
五・一五事件(1932年)
②国際連盟が満州国を認めなかった。
→日本が国際連盟を脱退
☆影響
①五・一五事件により、
憲政の常道が終わりを告げる。
②その後
陸軍将校による高橋是清大臣らを暗殺した
二・二六事件(1936年)なども経て
軍部が政治的発言力を強めることとなる。
③国際社会から孤立し、
ファシズム諸国と距離が縮めるしかなくなる。
二・二六事件の際
本当のターゲットは、
もちろん時の総理大臣、岡田啓介。
でも、陸軍将校は岡田啓介の顔をよく知らなかったようで、
義弟を殺し、岡田啓介は逃げたようだ。
……
教科書の流れとは違うが、
一度ここで章を区切ろうと思います。
次回からは、
なぜ太平洋戦争まで招いてしまったのかということを
テーマにして、話をシステマティックにつなげていこうと思います。