技術的に日本に船で来られるようになったことはわかった。
では、あとは、なぜ日本にくる必要性があったのか。
特にやっぱりこの人、
フランシスコ・ザビエルね。
これだけはとてつもない正答率。
ちなみに、髪の毛、抜けたんじゃないよ。
お偉いさんしか、この髪型できなかったの。
トンスラっていう。
よく見ると…
天使の輪をかぶってるように見えなくもないでしょ?
…ほら
で、なんできたか。
そりゃ布教しに来たのは知っている。
なぜ、日本にまで布教する必要があったかということだ。
話はさかのぼること、1500年代前半、
ときのローマ教皇がこの建物を改修しようとしたことにはじまる。
サン・ピエトロ大聖堂だ。
東京書籍の「地理」には、空中写真が出てる。
バチカン市国にある
カトリックの総本山だ。
もちろん、改修にはお金がかかる…
そこでこんな手に出た。
ひさしぶりに免罪符(贖宥状)を売ろう。そして、改修費用にしよう。
これを買ったら、神様から犯した罪を許してもらえるよ。
もとは、十字軍に行かないという罪を逃れるために、これを購入したもの
だったらしいが、そういった理由も全くなくなった。
そこに現れたのが、この人だ。
そんなことで救済されるなんて、聖書に書いてないぞ!
ドイツ人のルターだ。
こうしてカトリックを批判していき、共感を得ていく。
いずれ、ルター派のキリスト教は
プロテスタント(抗議する者)
とよばれていく。
これを宗教改革とよぶ。
かくして、ヨーロッパのドイツ以北に
カトリックが布教できなくなった
東はイスラム勢力なので布教できない、
ということは、
船に乗って南に行くしかなくなったということだ
そして、カトリックやカトリックから派生したイエズス会は
アジア・アメリカに出かけることとなっていくのだ。
そして、1549年、日本にザビエルが来るに至るのだ。
なお、もう一人、宗教改革で名前があがってくるのがこの人。
この人はスイスで活動。
カルバン派のプロテスタントが、
イギリスではピューリタン(清教徒)とよばれる。
いずれこの言葉が出てくるので、知っておくとあとでつながります。
なぜ日本に来たか
①ヨーロッパでルターやカルバンによる宗教改革がはじまる。
ルター・カルバンの宗派をプロテスタントとよぶ。
②ヨーロッパで布教活動がやりづらくなったカトリック・イエズス会が、
アジア・アメリカ大陸へ布教をはじめる。
→貿易船とともに乗ってくる宣教師が日本人と出会う。
鉄砲とキリスト教が、日本に伝わる。
南蛮貿易がはじまる。
結果、
③1543年、鉄砲が種子島に伝わる
(たねがしまの漢字に注意)
④1549年、ザビエルが鹿児島に来る
ことをおさえておく
※カトリック・イエズス会は、貿易船に乗ってくるので、貿易&布教がセットであり、切っても切り離せない関係であることを覚えておきましょう。