3 《中学歴史(社会)》弥生時代に稲作が始まり、世界はどう変化したのか:奴国・邪馬台国

日本の黎明期編
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前回、半島系の人たちが、日本列島にお引っ越ししてきて、

急激に生活様式が変化したことを学習した。

なので、稲作がはじまって、うすい土器を使うようになった時代を

縄文時代と区別して

弥生時代とよぶことにした。

で、中学生の落とし穴なのが、

あの女王がいた時代を弥生時代と認識できてない人も多い

ということだ。

で、改めて今回の学習は、

弥生時代に稲作が始まり、世界はどう変化したのか

ということである。

で、この過程を学習するのにわかりやすい物的証拠

これだったのである。だから、資料の意味合いが登呂遺跡と少し違う。

もちろん、吉野ヶ里遺跡(佐賀)だ。

JR長崎本線にのってると、突然車窓に広がり、ビビる遺跡だ。

登呂遺跡は、稲作をやっていたということが重要事項。

今回の重要事項は…

この遺跡の様子から

世界がどのように

変化したのか

わかるかな?

なんか、

柵や堀っぽい

ものに

囲まれてるなあ

やたら高い

建物が

あるなあ

てことは?

高い建物は

敵を見張って

たんじゃないか

村か国ができてて

他の場所と

戦ってたんじゃ

ないか

ということである。

なお、1つ学習のシステマティックポイントを挙げておきます。

先生も「資料の読み取り」ってひとまとめにして授業してしまうけど、

みんなには、こういう力が求められていると、分割して考えると、

みんなも学習ステップを踏めると思います。

問題の出題者や先生も、これを理解せずやってる人が多いんで、

資料を読み取る力がつかない!って言われるんよ。

資料読み取りを2段階~3段階のレベルに分けよう

☆読み取りレベル1

資料からわかる事実を挙げてみよう

(上の青いセリフの気づき)

☆読み取りレベル2

わかった事実から考察してみよう

(上の黄色いセリフの気づき)

☆読み取りレベル3

他の資料の考察と複合してみよう

これができるようになるのも、中学校で求められている力ね。

この力はどんな場面でも一生ものだしね。

さて、これまでずっと物証だけで学習してきたのだが、

実はこれを裏付ける証拠が、

とうとう文書として残ってるんよ

ところが、まだ日本にそんな技術はない…

おとなりの現在の中国にあった国々の本にでてきたわけだ。

じゃ、いよいよ

文書資料から

日本の様子を

読み取ってみよう!

<span class="fz-18px"><span class="bold-red">漢</span>書地理志</span><br>マイナス1世紀
書地理志
マイナス1世紀

楽浪郡の海に倭人がいる。

100個あまりの国がある。

<span class="fz-20px"><span class="fz-18px"><span class="bold-red">後漢</span>書<br>東夷伝</span></span><br>1世紀
後漢
東夷伝

1世紀

西暦57年に倭の奴国ってトコがやってきたよ。

光武帝が鑑をおくったよ。 

<span class="fz-18px"><span class="bold-red">魏</span>志<br>倭人伝</span><br>3世紀

倭人伝

3世紀

邪馬台国って国がある。ここは女王がいるよ。

名を卑弥呼っていうよ。親魏倭の称号を贈ったよ。

卑弥呼が死んだとき、おっきな墓をつくったよ。

<span class="fz-18px"><span class="bold-red">宋</span>書<br>倭国伝</span><br>5世紀

倭国伝

5世紀

(くわしい内容は次回のおたのしみ)

さて

このことから

わかることは?

☆事実

・紀元前1世紀ころ、日本に確かに「クニ」が存在した

・1世紀ごろ、「奴国」があって、漢に使いをおくった

・3世紀頃、「邪馬台国」って国があって、「卑弥呼」っていう女王がいた

☆それをふまえた考察

日本にもいっぱい国ができてて、争いがたえなかった。その中でも、邪馬台国のように、他国を従える国も現れている。そして、権威を示すために、中国の王朝に使いを送っている日本の国も複数存在した。邪馬台国が今後日本を???

てところ。もちろん

そんな

2000年前の話

ホントなの?

と思うのが当然。ところが、まさかの物証まででてきたんだ。それが、かの有名なこれ

奴国王印ね。(×

まさかの実物の存在に、事実認定されたわけである。

場所はココ

なお、第一発見者は、こんな人

気になる邪馬台国に関することは、まとめのあとで…

では、今回の学習のポイントをまとめましょう。

次回の学習は、

「その後、日本はどのような国となっていくのか」

ということである。

弥生時代に稲作が始まり、世界はどう変化したのか

☆変化したこと

・リーダーを中心としたクニができた。

・すると、クニどうしの争いが生まれた。

物証は、吉野ヶ里遺跡(これが邪馬台国だという人もいる)

・よりたくさんのクニを従えるため、中国にある王朝に使いを送り、権威を与えてもらった。

☆重要ポイント

・1世紀、北九州に奴国があり、「奴国王」の金印をもらった。

 「後書東夷伝」

・3世紀、邪馬台国があって、卑弥呼がいた。

 倭王の称号をもらった。

 志倭人伝」

 (つまり、中国は呉蜀の三国時代である)

何という王朝とどこがつながったのかつかんでおく

邪馬台国の場所(どこかさぐってみよう)

実は、魏志倭人伝には、なんと

邪馬台国への道順

が書いてあるのだ

がんばって、よみとってみよう

邪馬台国までの道順(By魏志倭人伝)

まず、朝鮮半島の海岸づたいに進むと、狗邪韓国につく。ここまで7000里。

海をわたると、1000里で対馬につく。

さらに海に1000里進むと、壱岐国につく。

さらに海を渡ると、1000里で末盧国(佐賀県松浦)につく。

陸を東南に500里行くと、伊都国につく。

東南に100里のところに、奴国がある。

東に100里行くと、不弥国(宇美?)につく。

海を20日進むと、投馬国がある。

南に海を10日、陸路を1ヶ月いくと、邪馬台国だ。

なお、その南には、狗奴国があるよ。

だってさ。

わかったかな?

研究者も、

けっきょく

不弥国らへんまではわかるけど、

海を20日進んだ

ところって

一体どこだよ!?

と、この文の解釈で困っているのだ。

なので、北九州説と近畿説にわかれてしまうわけである。

あと、最後のたよりが

卑弥呼が死んだときに作ったといわれる

直径が100歩あまりある

大きな墓

と、

もらったといわれる

銅鏡三角縁神獣鏡?)

なのである。

これがどれなのか、みんな研究してるわけである。