さて、
前回、日本には
稲作が広まり、生活様式が変化した結果、
邪馬台国
のように、他国を従える大きなクニが
できていったことが、
現中国の王朝の歴史書からわかった
といったことを学習した。
今回は、その後
クニが大きくなり、日本はどのようになったのか
という学習である。
では、そもそも、邪馬台国から200年後、
日本はどんな様子だったのか(5世紀~6世紀編)
☆物証1
大仙古墳
形状は前方後円墳
方形って、正方形・長方形の方形のことなので、四角形のこと。
ジモティーの方々は、
仁徳天皇陵古墳と呼びたいとのことだが、
断定できないため、教科書等では大仙古墳
大きさは、こんなもん
JRの駅1つ分(駅間は約900m)ね。
教科書の表記486mは、カギ穴のみの長さ。おほりとか入れたら900m。
実際写真におさめても、これくらいしかみえない。
これが、上写真でバスのマークがついてるド真ん中ね。
なお、大仙古墳を含む百舌鳥古墳群は
2019年、百舌鳥(もず)・古市古墳群
として、世界遺産に認定である。
☆物証2
☆物証3
☆物証4
中国にあった宋という王朝の本
「宋書倭国伝(倭王武の手紙)」
当時、中国は北朝(北魏)南朝(宋)に分かれてたので、南北朝時代。
ブーさんが送ったのは、このうちの南朝の宋
わたしの祖先は、自らよろいやかぶとをつけて、東は55国、西は66国、海をわたって95国をおさめました。でも、宋まで貢ぎ物をもっていくのに、高句麗が邪魔します。わたしに高い地位をあたえてくださいね。
では、
今回も物証から
様子を探りましょう。
剣に大王って書いてあるぞよ。
手紙によると、倭王の武さんは、めっちゃたくさんの国を従えてたっぽいな。
なお、大人の事情で画像は出せなかったけど、熊本県と埼玉県の古墳から出土した刀剣には、ワカタケルって同一人物の名前がかかれてるわけだ。そんで、ワカタケルって、その倭王の武さんという説があるわけね。
てコトは、日本には相当大きな権力者がいたことが考えられるわけだ。九州までも勢力範囲だ。
ということである。
で、この多くの豪族を従えていた大きな政権を、以下のように表記されている。
(豪族…蘇我さん、物部さん、葛城さん、大伴さんなど)
大和政権『東京書籍』
ヤマト王権『帝国書院』
なお、武さんは、あくまで中国名
この時代、倭に5代の王(倭の五王)が引き継いでるらしい。
それが、讃・珍・済・興・武と書かれている。
で、これに書かれている家系図と同じような流れを、日本書紀の記述にあてはめると、
珍…仁徳天皇?
武…雄略天皇?
があてはまる説がある。
で、このように、古墳がさかんに作られた時代を、
古墳時代
と分類している。
終わるのは593年だが、弥生時代との明確な線引きはない。
さて、ここで新たな疑問を挙げてみよう。
新たなギモン
①宋書倭国伝に高句麗とあったが、おヌシ何者?
②なぜ高句麗などの国と争う必要があったのか?
③朝鮮半島からもたらされたものは何か?
ギモン①宋書倭国伝に高句麗とあったが、おヌシ何者?
当時、朝鮮半島は、大きく3つの王朝があったわけである。それが
高句麗・新羅・百済
あと、ちっちゃい国があり、統一王朝はなかった伽耶地域があった。
その中で、一番北にあり、百済にちょっかい出してたのが高句麗である。
…………
ギモン②なぜ高句麗などの国と争う必要があったのか?
ひとつは、上にあったように、高句麗が百済を攻めているので、百済が助けをもとめてきたこと。
なので、日本との関係は、おおむねこんなかんじ。
日本と仲が良い:百済・伽耶地域の国々
日本と仲が悪い:高句麗・新羅
で、助けると、どんなメリットがあったのかということだ。
…………
ギモン③朝鮮半島からもたらされたものは何か?
まずは、ほしかった資源がある。それが鉄である。
日本には製鉄技術もまだないわけだし、重要スポットだったのである。
ま、6世紀になると、半島から日本に渡ってきた人が増えてくる。
その人たちを渡来人と呼んでいるが、
けっこういっぱい技術や知識を持ち込んでくれている。
ま、文字を扱えたりするのをはじめ、さまざまな技術を持ってたので、大和政権は重宝したわけだ。
………
ということで今回の課題の答えをまとめてみると…
日本は、近畿に大和政権を中心とする大きな国家が成立していた。そんで、朝鮮半島の権益を受けようとして、中国王朝(宋)に使いをおくっていて、百済とともに、高句麗・新羅と戦っていた。
といったところだろうか。
では、ポイントをしぼって語句をまとめましょう。
クニが大きくなり、日本はどのようになったのか(古墳時代)
①豪族を従える政権、大和政権(ヤマト王権)が誕生
証拠
・大仙古墳をはじめ、近畿に多くの前方後円墳が集まる。
・宋書倭国伝に「倭王武の手紙」が残っている。
・江田船山古墳と稲荷山古墳から、ワカタケル大王と書かれた刀剣が発掘された。
→大王(のちの天皇)がいた。
→九州から東北地方南部まで支配か
②大和政権は、朝鮮半島の権益を得ようとした。
理由
・百済を助ける
・鉄などの資源を求める
※日本寄り:百済・伽耶地域
日本の敵:高句麗・新羅
③結果…
・渡来人が日本に渡ってくる。
→須恵器などが伝わる
→漢字が伝わる
→仏教・儒教などが伝わる
※
テストで古墳に入れた埴輪と、縄文時代のおまじない人形の土偶が混乱する人もいるので注意。
次回の章からは、
豪族と大王(天皇)の関係は、どう変化していくのかということをポイントに、学習をすすめていくことになります。
で、あの人たちが登場となるのである。