前には、豊臣秀吉が天下統一するまでの流れを
教科書だけでは分からない点を入れながら、
非常にざっくりだが流してみた。
時代は前後するが、
この天下統一するまでに、
同時進行で様々な政策をやっている。
「織田がこわし」
「羽柴(豊臣)が作った統治システム」
とこの前は表現したが、
そこまで歴史を変えたものだったのだ。
だって、それまでテキトーになってたものを、
日本統一のシステムにしていったのだから。
土地制度にしてもそうだ。
それまで、もう、どこが誰の土地なのか、
またまた貸しとかして、わからなくなっていた状況であった。
「※日本国支配のしくみ 3平安」も参考に。
身分がはっきりしてしまったのも、この人の功罪だ。
では、その政策はというと…
もちろん
太閤検地と刀狩である
まあ、大まかなことは、分かるだろうと思う。
太閤検地(1582~)
①統一した「ものさし」や「ます」を遣って、予想される収穫量を石高で表した。
②実際に耕作している百姓が検地帳に登録された。
③検地帳に載ってる人に年貢を納めさせた。
刀狩(1588年)
①一揆を防ぎ
②農耕に専念させるため
(最近②は教科書に表記がない)
お寺の鐘をつくるという名目で、百姓から武器を取り上げた。
大切なのは、
だからどんな世界になったか
というところである。
太閤検地によって
①すべての土地と人民を、秀吉(武士)がつかむこととなった。
②誰の土地がわからない土地がなくなり、
耕作者=土地の持ち主
ということがハッキリした。
(荘園制をすべて否定した)
刀狩によって
③これまで百姓も戦いに行っていたはずだが、
それがなくなり、武士とそれ以外の身分がハッキリした。
(兵農分離)
で、自分が下剋上の最たるものだったが、
惣無事令って命令を出して、
争いを禁じた。
ってところだ。
あと、秀吉のやったこととしては、
朝鮮出兵はおさえておきましょう。
文禄の役(1592年)
慶長の役(1597年)
しかしながら、このときが訪れる
1598年 豊臣秀吉没 享年61歳。
ここで問題になってくるのが、
後継ぎとなるはずの豊臣秀頼
まだ保育園児よ。このとき5歳。
江戸にお引っ越しさせられた徳川家康は、
朝鮮出兵を免除してもらえた。
さあどうなる?
豊臣秀吉のやったこと
1582年~太閤検地
1583年~大阪城建築
1585年 関白になる(惣無事令を出す)
1588年 刀狩
1592年 文禄の役
1597年 慶長の役
○桃山文化の象徴的な人
千利休は、もとは家臣
※キリスト教に対する政策
最初はOK
しかし、九州の大名がイエズス会に土地をあげちゃったので、
宣教師を追放しようとした
(1587年バテレン追放令)
天下人は
天が決める