前回で、後醍醐天皇によるいわゆる
「建武の新政」が、
京都に混乱を招いたことは学習した。
ここからが、今回の学習である。
様々な不満の原因は何なのか。
けっきょく、後醍醐天皇がみんなの思いを汲み取っていないんだろうな。
昔だったら、
天皇というだけで強行できた(と思い込んだ)が、
それは通用しない。
平安時代のような貴族中心の世の中にしようとしたわけだ。
いや、もっというと、
西暦900年ごろの、醍醐天皇のころの天皇制をめざしたんだ。
だから死ぬ前から、
わしが死んだら、
諡(おくりな)で
後醍醐天皇って
名前をつけてね。
て言っていて、念願がかなったのだ。
そのため、それまでの世の中の流れを無視して、400年前のやり方をしようとした。
現在ならどうだ?400年前ってことは、
いきなり新しい総理大臣が、
「徳川家康のやりかたをまねするんだ!長男が一番エラい。農家は政治家に逆らうな。」
ってやるのと同じ感覚だ。
で、みんな
あ?だれのおかげで政権とれたと思っとるんや?
という状況である。
ここで結局実力行使に出る人があらわれるわけだ。それが
足利尊氏だ。
みんな、もう一度、武士による政権つくろうぜ
と呼びかければ、たくさんの人がついてくる。
で、新しい天皇を立てて、後醍醐天皇を追い出したわけだ。
(※鎌倉時代後半から、実は天皇家は2つの流れにわかれていて、その反対の流れの天皇にした。)
と、ここで歴史的大問題が生じる。
後醍醐天皇は京都から追い出され、奈良県の吉野というところにいたんだが、
天皇
やーいだまされた。
この前わたした三種の神器は偽物でしたー。
だから、ワシが本物の天皇だ。
残念でした、またどうぞー!
と言い出したんだ。
※三種の神器とは、テレビ冷蔵庫洗濯機じゃないよ。もとは、天皇が受け継いできた3つの品物。現在も受け継がれている。
「天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ)」
「八尺瓊勾玉(やさかにのまがたま)」
「八咫鏡(やたのかがみ)」
という3つのものがある。
南朝(吉野)とは google mapより
なお、ここも後醍醐天皇のおすまい(の1つ)
書院のこの場所が、後醍醐天皇の玉座ね。
これによって、足利尊氏がたてた天皇系と、後醍醐天皇系という2人の天皇が同時に存在する異例事態となってしまった。で、「室町時代の混沌①」がはじまる。
この状態を、京都(北の朝廷)と吉野(京都より南にある朝廷)があるということで、
南北朝時代
とよんでいる。
とはいえ、いちおう北朝の天皇から足利尊氏は
1338年征夷大将軍に任命
されることとなる。
これにて、改めて新しい時代、新体制となっていく。
足利尊氏
・鎌倉幕府の御家人だったが、六波羅探題を攻め落とす。
・建武の新政をやめさせる。
(南北朝時代とよばれる時代がはじまる)
楠木正成と新田義貞をたおす
・1338年征夷大将軍となる。
→室町幕府(京都の室町に、いずれデカいおうちがたつ)
幕府ポイント
本拠地 :京都
将軍の補佐役:管領(これの正答率が低い)
敵の監視役 :鎌倉府 これで十分
なお、
上にも挙げた、
この吉野にある
吉水神社って
けっこうなスポットなの。
もちろん世界遺産
後醍醐天皇が来る約150年前には、
お兄ちゃんと兄弟ゲンカして全国を転々としていた
源義経、静御前(義経の恋人)、弁慶らがしばらく身を潜め、
武士の姿を捨てた地だといわれる。
(ここ以降、山伏の姿をしたといわれる)
その時においていったとされる武具が展示されている。
義経の鎧
弁慶の籠手
静御前鎧
そんでもって、
安土桃山時代には、
豊臣秀吉の花見の地の本陣なのである。
この花見では、
伊達政宗が山伏コスで
会場の爆笑をかっさらった
花見大会の場所といわれている。
とはいえ、吉野自体が世界遺産。
すぐ近くにある金峯山寺(きんぷせんじ)が
フラッグシップ的な超パワースポット。
霞がかった吉野も風情があるもんだ。