大正時代の日本は、
中学校の歴史の教科書の中では飛躍を遂げた時代であった。
○外交的には、
第一次世界大戦で漁夫の利を得て、
ワシントン会議で紆余曲折あったとはいえ、
世界と協調する道を歩んできた。
そして、
○経済的には
第一次世界大戦のおかげで
好景気に沸いた。
○政治的にも
普通選挙法が制定され、
選挙で勝った政党が内閣(政党内閣)を作る
憲政の常道モード突入であった。
今回の学習は、
なぜこのモードが破綻してしまったのか
ということである。
………
時はさかのぼると、
前兆はあったし、以前のブログで種はまいておいた。
ターニングポイントとなったのが、
このできごとだ。
関東大震災(1923年)である。
※これ自体は大正12年
これが一撃目。
ちょうどランチタイムに起こったことで、
ガスを使っている多くの家庭から出火し、
東京一面が焼野原となってしまった…
ここで、企業が銀行から借りている
資本を、肩代わりしようとした。
銀行がツブれたら大変だからなあ。
でも、その国会審議中
その時歴史が動いた!
大蔵大臣(今の財務大臣)がこんなことを言ってしまった…
「東京渡辺銀行」が破綻した!
ツブれてない銀行が破綻したって
間違って言ってしまったという、
歴史的大失言をやらかしたのだ。
このこと聞いたら国民はどう思うか想像できるでしょ…
は?
銀行にお金
預けてるのに…
私のお金、
全部引き出さなきゃ!
って思うのが、当然の動き。
銀行ってのは、
私たちの預けたお金を
企業などに又貸しして
もうけてるのである。
※くわしくは公民の「金融」の勉強で。
現代のどんな銀行でも、
みんながお金を一斉におろしにいったら
あっという間につぶれる。そんなもんだ。
で、この失言をきっかけに
本当に銀行が廃業・休業に追い込まれていったのが
金融恐慌(1927年)である。
これが二撃目
なんとか
この金融恐慌からも立ち直ろうとしたとき…
あの1929年10月24日木曜日を迎えるのである。
これにより、
アメリカ、イギリス、フランスなどは、
外国との貿易を事実上停止。
日本の輸出産業が
とんでもないあおりを受け、
日本経済は致命的な大打撃を受けるのである…
これを
昭和恐慌(1930~)とよんでいる。
※東書は太字語句
これにて、
日本も何か思いきったことをしなければ
生きていけなくなったのである。
で、どのような道を歩むのか、
次回の学習としたいと思います。
教科書では1ページの内容ですが、
補足をたくさんいれてボリューミーになってます。
なので、実際に覚えることは少ないので、
安心して
経済の流れに注目して覚えましょう。
序章:日本を襲う嵐の前の静けさは、どのように崩れてしまうのか
できごと①
関東大震災[1923(大正11)年]がおきる…
できごと②
関東大震災の後処理の途中、
大臣の歴史的大失言で
金融恐慌[1927(昭和2)年]がおきる
できごと③
世界恐慌(1929年~)のあおりをうけ、
昭和恐慌[1930(昭和5)年]がおき、
日本経済が致命的大打撃を受ける