3 《中学歴史(社会)》YOU(ザビエル)が日本に来る必要性とは

☆YOUはどうして日本へ1
スポンサーリンク

技術的に日本に船で来られるようになったことはわかった。

では、あとは、なぜ日本にくる必要性があったのか。

特にやっぱりこの人、

フランシスコ・ザビエルね。

これだけはとてつもない正答率。

ちなみに、髪の毛、抜けたんじゃないよ。

お偉いさんしか、この髪型できなかったの。

トンスラっていう。

よく見ると…

天使の輪をかぶってるように見えなくもないでしょ?

…ほら

で、なんできたか。

そりゃ布教しに来たのは知っている。

なぜ、日本にまで布教する必要があったかということだ。

話はさかのぼること、1500年代前半、

ときのローマ教皇がこの建物を改修しようとしたことにはじまる。

サン・ピエトロ大聖堂だ。

東京書籍の「地理」には、空中写真が出てる。

バチカン市国にある

カトリックの総本山だ。

もちろん、改修にはお金がかかる…

そこでこんな手に出た。

教皇レオ10世
教皇レオ10世

ひさしぶりに免罪符(贖宥状)を売ろう。そして、改修費用にしよう。

これを買ったら、神様から犯した罪を許してもらえるよ。

もとは、十字軍に行かないという罪を逃れるために、これを購入したもの

だったらしいが、そういった理由も全くなくなった。

そこに現れたのが、この人だ。

そんなことで救済されるなんて、聖書に書いてないぞ!

ドイツ人ルターだ。

こうしてカトリックを批判していき、共感を得ていく。

いずれ、ルター派のキリスト教は

プロテスタント(抗議する者)

とよばれていく。

これを宗教改革とよぶ。

かくして、ヨーロッパのドイツ以北に

カトリックが布教できなくなった

東はイスラム勢力なので布教できない、

ということは、

船に乗って南に行くしかなくなったということだ

そして、カトリックやカトリックから派生したイエズス会

アジアアメリカに出かけることとなっていくのだ。

そして、1549年、日本にザビエルが来るに至るのだ。

なお、もう一人、宗教改革で名前があがってくるのがこの人。

カルバン

この人はスイスで活動。

カルバン派のプロテスタントが、

イギリスではピューリタン(清教徒)とよばれる。

いずれこの言葉が出てくるので、知っておくとあとでつながります。

なぜ日本に来たか

①ヨーロッパでルターカルバンによる宗教改革がはじまる。

 ルター・カルバンの宗派をプロテスタントとよぶ。

②ヨーロッパで布教活動がやりづらくなったカトリック・イエズス会が、

 アジア・アメリカ大陸へ布教をはじめる。

貿易船とともに乗ってくる宣教師が日本人と出会う。

 鉄砲とキリスト教が、日本に伝わる。 

 南蛮貿易がはじまる。

結果、

1543年、鉄砲が種子島に伝わる

(たねがしまの漢字に注意

1549年、ザビエルが鹿児島に来る

ことをおさえておく

※カトリック・イエズス会は、貿易船に乗ってくるので、貿易&布教がセットであり、切っても切り離せない関係であることを覚えておきましょう。