いよいよ
「YOUはどうして日本へ?弐」
本編に突入である。
時は17世紀(1601年~)のお話。
とはいえ、パラレルワールド日本では、
江戸幕府が開かれたばかりである。
前回あげた当時の社会事情で、今回必要な情報をを確認しよう。
BEFORE(ビフォー)
①世界は絶対王政
②王権神授説がキホン
③戦いが多く、お金がない
これがビフォーな状態。
で、わざわざ教科書に載ってるくらいなので、
この状況が変化するのである。
今回は、資料からアフターの状況を読み解いてみましょう。
せっかくなので、日本というパラレルワールドもセットであげておきます。
アフターワールド↓
さて、ここで使うことは覚えているでしょうか。
「禁止されたってことは、やっていた」の法則だ。
ここから、1689年以前のイギリスって、
どんなことしてるか読み解いたかな。
つまり、
①国王は、議会を開いてくれなかった。
②国王が、議会の同意なく、法律を停止した。
③国王が、議会の承認なく、勝手に税をかけようとした。
これが絶対王政なのだ。
実際はこんなことがおきたのだ。
①税を勝手にかけない約束はしていた。
②戦い(内乱)により、お金が必要になった。
③仕方なく、議会を開き、税をかけようとした。
ここで、一体イギリスで何が起きたかということだ。
とうとう国王VS議会のバトルと発展したのだった。
どう考えても協力な国王軍だったのだが、
ここで救世主が現れる。
クロムウェルという男だ。
この男の登場によって、
絶対的王者の国王をギロチン刑にまで
もっていくのだ。
議会派の人たちは、カルバン派のプロテスタント
いわゆるピューリタンが多かったため、
これを
ピューリタン革命(1642年~)
とよんでいる。
ちなみに、
革命と改革って中学生にわかりやすくいうと…
改革
政治を行う中心は変わらないが、世の中を良くしようとする。
革命
政治を行う体制自体が変わる。
王制をブッ壊すと思えばOK。
※なお、このように市民たちが王を倒して
政治をしていくシステムを作っていくので、
今後出てくるフランス革命などとまとめて
市民革命とよんでいる。
と思えばOK。
ちなみに次のことも知っておきましょう。
対義語
王制(君主制) ⇔ 共和政
(王がいる) (王がいない)
ところが、教科書をみると、もう一度革命がおきている。
どういうことか…
実は、その後にこんなことがあった。
①ピューリタン革命後、クロムウェルが独裁政治を行ってしまう。
②クロムウェルの死後、一家を追い出し、仕方ないので、新しい王(この前の息子)をたてた。
(共和政から王制に戻ってしまう)
③すると、やっぱり息子だけあって、パパと同じく好き勝手なことをする。
④みんなで王をやっつける計画をたてる。
⑤計画を知って、王が夜逃げした。
これにて、戦わずして、この王を追い出すことができたのだ。
戦わずして革命を起こせたということで、
名誉革命(1688年)
とよばれる。
そして、新しい国王を呼んだのだが、この王は
権利章典(1689年)
を認めてくれているのだ。
王は、「君臨すれど、統治せず」という立場となる。
ややこしいけど、
王がいるので君主制でありながら、
権利章典という憲法があるので、システム上は、
立憲君主制
というシステムの国となったのである。
日本で例えると、
徳川家光と綱吉をやっつけて、
議会を開くようになった
ということである。
そして大切なのは、
いちはやく
人々が自由に活動できる国になった
ということである。
とはいえ、こんな流れを中学生が覚える必要はない。
重要なのは、今回のタイトルに対する答えとなること。
重要なポイントだけピックアップしておきましょう。
イギリスは、どのような国に変化するのか
○できごと
①クロムウェルを中心に、議会派が王を倒す。
「ピューリタン革命(1642~)」
②クロムウェルが独裁政治を行う。
③新たな王を呼んで、王制に戻す。
④国王を追い出すことに成功。
「名誉革命(1688年)」
⑤権利章典を認めてもらう王を呼ぶ。
○結果
・立憲君主制が確立する。
・いち早く一般ピーポーが自由な活動をできる国となった。