前回の学習で、
国会を開くと約束をしよう。
でも、10年まってね。
という約束をした話は学習した。
※実際にそれを発表したのは明治天皇なので、
国会開設の勅諭といった。
で、この章の最終回のテーマはこれ。
なぜ、伊藤博文は10年の月日が必要だったのか
ってこと
ここに、
自由民権派と藩閥政府のかけひきがある。
それを読み解くには2つの作業が必要だ。
①自由民権派は、どんな国を作りたかったのか。
②じゃあ、伊藤はこの10年の間に何をしたのか。
最終回は、この2本の話から、読み解こう。
ではさっそく学習①だ。
自由民権派の思いが示されているものが
教科書にもあるでしょう。見つけましたか。
それは、私擬憲法だ。
五日市憲法
・日本国民は各自の権利自由を
達成することができる。
他から妨害してはならず、
国法はこれを保護
しなくてはならない。
・すべての日本国民は、
族籍位階の別を問わず、
法律の前においては
平等である。
東洋大日本国国憲按
(起案:植木枝盛)
第2条
日本奥に、立法府・行政院・
司法庁を置く。…
第5条
日本の国家は日本人
各自の自由と権利をなくしたり
減らしたりする規則を作って、
実行することを禁止する。
と、こんな感じだ。
なお、ここでダメと書かれてるということは、
今までの法則
「禁止ということは、それまでやっていた」
と考えると、
明治藩閥政府は、
自由ではなく、
平等とはせず、
それを法律を作って
妨害していた。
ということだろう。
では、改めて作業の2つめ
みんな、
伊藤の10年を
書き出してみよう!
伊藤さんの10年の思い出ノート
①ヨーロッパに留学し、
ドイツの憲法等を学んだ。
②1885年に
太政官制度をやめて、
内閣制度を作る。
自分が初代
内閣総理大臣となる。
③1889年
大日本帝国憲法が
発布される。
④1890年
第一回総選挙を行い
第一回帝国議会が開かれる。
いくつか補足説明も入れよう。
☆内閣総理大臣について
これ、東京書籍には、なんも説明ないので
非常に誤解してしまうので注意。
内閣総理大臣っていうのは、
今のように選挙で選ばれた人から
なるわけではない。
元老っていう地位に任命された人で
相談して決めている。
もちろん元老は
薩摩長州出身者ばっかりだ。
☆帝国議会について
今と違って、衆議院と貴族院
選挙するのは衆議院だけ。
しかも、選挙権があるのは次の人だけ
ビゴーさんの絵から、どんな人かわかるかな?
直接国税(主に地租)を15円以上納める
満25歳以上の男子。
※赤字が穴埋め問題になる
※「直接国税」っていう種類の税。
しかも、国も「しゃーない、投票させてやる」といった感じだ。
☆大日本帝国憲法の内容
大日本帝国憲法
第1条
大日本帝国は万世一系の
天皇これを統治す
第11条
天皇は陸海軍を統帥す
第29条
日本臣民は法律の範囲内に於て
言論著作印行集会の
自由を有す
※天皇が国民に与える欽定憲法である
※赤字は穴埋め注意
みんな、
自由民権派の考えていた憲法との
違いがわかる人だったかな。
なんせ、
天皇中心で、
しかも法律の範囲内において
言論などの自由が認められてるってことは…
いくらでも法律で制限できるってことだ。
※このような問題点は、3年生の公民の授業でくわしく学習しましょう。
これが君主権の強いドイツなどから学んだ憲法だ。
この文、とても記述問題での出題ポイントだ。
もちろん自由民権派の私擬憲法はフランス流。
さて、ここで今回の課題
なぜ伊藤博文は
10年の月日が
必要だったのか
わかっただろうか。
もちろん、
天皇中心の名の下、
自分たち藩閥が国をあやつれる政府を
守りたかったからだ。
だから、この順番が大事だったのだ。
もし大隈重信が主張していたとおり、もし
今すぐ国会を作っていたらどうなったか
考えてみよう。
①国会が集められる。
②自由党系の人たちが国会を支配する。
③フランス流の自由で平等な憲法ができてしまう。
という順番になるでしょ?
だから、
10年かけて、それを阻止したのだ。
とはいえ、
いちおうこれにて
日本もアジア初の
立憲制国家(憲法がある国)と
なったわけである。
とはいえ、まだまだこんな状態なので、
いずれ大正時代になると、
さらなる権利を求めて、
人々は動き出すのである。
いずれ、大正デモクラシー編で
学習しましょう。
なぜ伊藤博文は10年の月日が必要だったのか
☆10年のできごと
①内閣制度を作る(1885年)
伊藤博文が初代内閣総理大臣になる。
②大日本帝国憲法発布(1889年)
※この時の総理大臣は、
2代:黒田清隆
③第1回衆議院総選挙(1890年)
④帝国議会を開く(1890年)
※この直前に天皇が
教育の方針を
お言葉している
=教育勅語(儒教っぽい道徳思想)
☆伊藤の10年にどんな意味があるのか
外国に負けない国を完成させるため、天皇中心で藩閥の力が及ぶ政府の形を、国会開設より先に作る必要があった。そして、先にその制度を作ることで、自由民権派の思う国にするのを封じた。
いよいよ
次回からは、
その日本がどのような対外政策をしていくか
という内容に入っていこう。