5 《中学歴史(社会)》日本は韓国について、どのように対応していくのか:韓国併合

明治時代(4)明治の残された外交問題編
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これまで、

日清戦争、日露戦争と学習してきたが、

すべては韓国への対応のためだ。

ここで、これまでの経緯をまとめながら、

その後のことを語ろう。

今回は、学習自体がシステマティックまとめとなっている

これまでの経緯

江華島事件(1875年)

 朝鮮が日本船を砲撃

日朝修好条規(1876年)

 朝鮮を自主の国とする

 ※ご主人様と思ってた清が反発

日清戦争下関条約(1895年)

 清に朝鮮が独立国と認めさせる

 大韓帝国(1897年)となる

義和団事件(1899年)を経て

 韓国はロシアと近づく

日露戦争ポーツマス条約(1905年)

 韓国における日本の優越権を認める

で、続きもそのまま学習しよう

⑥ポーツマス条約を受け

 韓国の外交権を奪い

 韓国統監府を設置する

 (初代統監:伊藤博文)

⑦1907年、皇帝を退位させる

このような流れがあり、とうとう…

韓国を植民地とする(1910年)

 韓国併合

※韓国という国がなくなったことで、

 朝鮮となる。

 朝鮮総督府を置く

という流れで、申し訳なかったが、韓国を植民地にするに至った

これは太平洋戦争の敗戦の1945年まで続いた…

もちろん、韓国の反発は相当のものであった

伊藤博文も、1909年には暗殺されている…

これにて、明治時代に

たくさん戦いをしてきた目的が達成されたこととなった。

これを明治時代4本目の

システマティックツリーとして

しっかりおさえておきましょう。

これにて、明治時代の大きなできごとの学習が

終わりとなります。

明治時代(1867年~1912年)

大正時代になると、

新しいシステマティックツリーとなる

できごとが生じてくるので、

また学習していきましょう。