ようやく新しいがやってくる。
まだ、さいしょのころは天皇中心の政治と思えば中学校は大丈夫。
けっこうこのころまだ天皇に権力あったのよ
この前までの残された課題を確認しておこう。
それは、仏教勢力が大きな顔をし出した。
あくまで、奈良の仏教ね
奈良時代の仏教は、けっこうむずかしいのよ。
たとえば、中学校では言われないけど、
東大寺だって、「華厳宗」って宗派なの
………
さらに、新たな外的課題も生じてくるのだ。
朝廷に立ちはばかる新たな壁…
それは、
岩手県伊沢地方にいたアテルイだ。
つまり、現在の課題を挙げると、この2点だ。
奈良時代に生じた政治的課題
○国をおさめるのに仏教を活用したことで、
仏教勢力が政治介入してくるようになった。
新たな外的課題
○蝦夷の勢力の抵抗が激しかった。
この課題に向かい合わなければならなかったのが、この人物だ。
桓武天皇
である。
ここを中学生はけっこう忘れている。
しかも功績がつながっていない。
なお、中学生は、この先しばらく天皇の出番はお休みね。
ひとつめの功績は、お気づきだろう。
なんとか平城京にいる奈良仏教勢力を
政治から切り離したい!
そこで桓武天皇は、どういう手に出たか…
どうやって縁を絶とうか…
あ、そうだ。
追い出せないなら、
俺たちがでていってやれ!
「794年平安京にお引っ越しした」
(時代の区切りとなる年は、やっぱり覚えておこう)
いわゆる、「なくよ(794)うぐいす平安京」
ってやつね。
これにより、今後、わたしたちは、
便宜上平安時代
と呼ぶことにしている。
余裕があれば、
「その前に長岡京にお引っ越ししていた」
まで知っていると、なおよい。
残す課題は、アテルイ問題だ。
どうすべきか。
威厳を保つために、
アテルイを
懲らしめるしかない!
白羽の矢が立てられたのは、もちろんあの人。
坂上田村麻呂だ。
東京書籍版でも、本文じゃないところに追記があるでしょ。
坂上田村麻呂を征夷大将軍にして、
東北地方まで勢力をのばした
ここまで忘れずおさえておきましょう。
けっこう場所が出題されるのが、
このとき使った多賀城
宮城県の仙台駅から、仙石線で9駅目だ。
あと、東京書籍版では明記してないが、
ここらへんにひもづけておくとスッキリすることを
下に付け加えておく。
何かというと、
比叡山延暦寺を開いた
最澄を
遣唐使として生かせたのは、
なんせ桓武天皇だ。
そしていっしょにいたのが
空海なのである。
桓武天皇への課題と隠れた功績とは
目の前の課題
①奈良時代に生じた政治的課題
国をおさめるのに仏教を活用したことで、
仏教勢力が政治介入してくるようになった。
②新たな外的課題
蝦夷の勢力の抵抗が激しかった。
桓武天皇の功績
①奈良仏教勢力と縁を切るため、
平安京(794年)にお引っ越しした。
②坂上田村麻呂を征夷大将軍として、東北地方に勢力をのばした。
③この時代に最澄・空海が生きていた。
桓武天皇の命令を受けて、最澄が遣唐使に行っている。
同じ派遣団に、空海もいたわけだ(帝国書院には載っている)
ちなみに、
「せっかく仏教勢力を追い出したのに、なんで最澄・空海が出てくるの」
という疑問もあるだろう。
簡単にだけいうと、
奈良時代の政治に口出しするような仏教とは縁を切り、
新しい仏教を伝えてもらう
とぐらいに思っておけば大丈夫。
だから、政治とは縁のない比叡山(滋賀県)や高野山(和歌山県)
が本拠地であり、平安京にないでしょ?