1873年、朝鮮に遠征寸前、
大久保らによって、それを阻まれた人たちがいた。
重要なのは、この2人だった。
大久保、許すまじ…
西郷隆盛と、板垣退助だ。
今回は、西郷隆盛をピックアップ。
西郷の思いはどうだったか…
おいどんのかわいい部下、
士族をどんどん苦しめやがって…
という思いだ。
さて、ここで、
そもそもなんで士族が激オコだったかってことだ。
振り返ってみよう。
そもそもなぜ武士が激オコだったか
①明治時代になり、身分がなくなった。
②これまで、お城に仕えているだけで、
給料がもらえたのだが、
仕事がなくなった。
もちろん、収入もなくなる。
③身分がなくなったので、
武士の命(刀)を持つことすら
禁止された。
②③で、武士もガマンの限界にきたようだ。
西郷は、こうならないようになんとか尽力するのだが、
時代の流れには逆らえない…
鹿児島に帰った西郷は、
そんな武士の面倒を見ていたわけだ。
そして、西郷のところにやってくるわけだ。
西郷さん、もうガマンできません。
新政府をやっつけたかとです。
西郷としては、こう伝えるしかない。
絶対やめておけ!
残念ながら、
おまえらには勝ち目がない…
そりゃそうだ。
なんせ、士族のみんなを守りたかったのだが、
最終的に徴兵令をしいて新軍隊を作ったのは、
西郷自身だ。
その強力さを、肌身で知っている。
でも…
結局まずしくなった士族は、
とうとう手をだしてしまう。
西郷の手を持ってしても、止めることはできなかった。
これにて…
…わかった。
おいどんが、指揮を執ろう。
これにて、九州最大の反乱となるのである。
1877年西南戦争である。
一番の激戦地はここ
結局…
やっぱり官軍は強かった…
士族の力ではもはや、
平民主体の軍隊には勝てなかったのだ…
西郷は鹿児島にて自害、
これにて49年の生涯を閉じるのであった。
それとともに、
武士が力で世の中を変える時代が
終わりを告げるのである。
なお、時系列でいうと、
板垣が行動を起こした4年後なのであった。
西郷隆盛の歩んだ道は?
○背景・いきさつ
①征韓論で敗れた西郷が政府をやめる。
②士族の仕事が奪われ、
その上帯刀も禁止され、
士族の不満がMAXとなった。
③西南戦争(1877年)を起こす。
○影響
①士族の力では、当時の徴兵軍には
勝てないことが証明されてしまった。
②士族の武力による政府批判は
終わりを告げることとなった。
③この影響を受けてか、
翌年なんと
大久保利通が暗殺された。
④政府の有力者No1は、伊藤博文となる。
次回は、もちろん
板垣がどのような手段に出たかという話である。