日清戦争のとき、
せっかく勝ち取った遼東半島について
横やりを入れてきて邪魔したのが
ロシアだった。
日本国内は、
ロシアめ…
この恨み晴らさで
おくべきか!
と、こんな様子だ。
さらに極めつきの事件が起きた。
1899年、清の国内で、
欧米列強を追い出そうと、義和団って組織が
大使館を襲ったりしたのだが、
清もそれに便乗し、列強に戦いを起こした。
もちろん結果は…
やられたらやり返す。
倍返しだ!
そりゃそうだわなぁ…
これを義和団事件(1899年)という。
問題はそのあと。
どさくさにまぎれて、
ロシアが満州や遼東半島を
事実上占領してしまったのだ。
とうとうロシアとの戦争に
まったなしの状態となった。
とはいえ、
日本もこのままじゃ勝てないのは気づいている…
国力の差が大きすぎる!
それは、この前の日清戦争もそうだったが、
今回はケタが違う。
世界の下馬評はこうだ!←クリックして画像を確認!
だれが書いても日本人の小さいこと…
って、日本の後ろに、なんかいる!
ここが今回の大きなポイントである。
日本も誰か、味方につけたいのだ。
ここで出るのが、
「敵の敵は味方」の法則だ。
ロシアの南下政策を阻もうとする人を頑張って探したわけだ。
ここで、協力者が登場!
私たち、最強ね。
今まで誰とも
手を組まなかったが、
ロシアの南下政策に
驚異を感じているよ。
協力しよう
まさかの世界最強国
イギリスだ。
状況的にはこんな状況
(アジアまで軍を動かすのは
めんどくさいなあ、
日本を利用しちゃえ!)
ただし、
直接軍は派遣できないね…
こっそり資金援助するよ!
これに便乗してくれたのがアメリカ
どちらの国も
金は出すけど手は出さない。
だから、どの絵も
イギリスとアメリカが日本を盾にして戦っている
ような絵になっているのだ。
とはいえ、資金援助だけであるとないでは大違い!
しかも世界最強のイギリスが日本と手を組むなんて、前代未聞!
なお、アメリかって国は、
基本どことも外交不干渉って立場(モンロー主義)をとっているのを一緒に知っておくこと。あとあとすっきりする。
これにて、とうとう
1904年日露戦争開戦となる。
最初の狙いは、ロシアが遼東半島に築いた軍事港をたたく。
なんとかなったのだが、ロシアは次の作戦に出る。
日本と遼東半島は、海で隔てられている。
この補給路を断つんだ。
バルチック艦隊!
これを迎え撃つよう命じられたのが
無茶を言うなあ…
戦力差がこれほどあるのに…
しかし、命を賭けて
戦います!
東郷平八郎と、戦艦三笠だった。
考えに考えた末、とった作戦が
対馬海峡でバルチック艦隊を迎え撃つ
「丁字戦法」!
この様子は、NHK「その時歴史が動いた」の記念すべき第1回のテーマだ。
気になる人は、「丁字戦法」「東郷ターン」などで検索すると
いろいろ動画が出てくる。
この戦いを日本海海戦という。
そして歴史的勝利をおさめるのであった。
と、ここで、
どうだろう。
どっちの国も戦力消費してるし、
ここらへんで終戦してはどうかな?
と、日本が優勢なタイミングで
アメリカが仲介に入ってくれたのだ。
これにて、
日本が勝利という形で戦いが終わった。
なお、この戦いでちょうど開発され役に立った薬、わかるだろうか。
結ばれた条約が
仲介のアメリカのポーツマスってところで結んだので、
ポーツマス条約(1905年)
という。
内容
1)韓国における日本の指導・監督権を認める。
これが1番重要!
このために日清・日露戦争をしていたようなものだ。
なお、日清戦争とちがって、韓国ね。
2)旅順・大連を租借+長春・旅順間の鉄道利権プレゼント
これにより、いわゆる
南満州鉄道株式会社、通称満鉄をつくる。
なお、このことにより、少しアメリカと仲が悪くなる。
3)北緯50度以南の樺太を日本にプレゼント
4)一部の漁業権をもらう。
3)4)は、いちおう紹介だけ。
問題なのは、書いてある内容だけでなく、
書かれてないことにもあった。
さて、下関条約(日清戦争)にあって、ポーツマス条約(日露戦争)にないものはなにか。
ウエストランド井口のように、1問目でしっかりツッコもう。
それは、賠償金だ。これを勝ち取れなかった…
それにより、政府に文句をいう人たちが暴動を起こしたのだった。
それが、日比谷焼き討ち事件だ。
大変だけど、どの戦争の影響で、どの事件が起こったのか
しっかりまとめておきましょう。
では、改めて今章の課題の答えを考えよう。
日露戦争で得たものは何なのか
上記の内容から、いちばん大きいのはやっぱりこれ
①韓国を日本のものにできる国際状況が生まれた
ということは…
②日本が欧米列強の仲間入りを果たした
(この織田信成がコンニチハしている絵自体は、日清戦争後に描かれているが…)
※なので、その後関税自主権も撤廃できた
では、今回の学習を
国内への影響も交えて
まとめましょう。
日露戦争で得たものは何なのか
☆日露戦争3点セット
きっかけ
義和団事件(1899年)
戦争
日露戦争(1904年)
講和条約
ポーツマス条約(1905年)
内容(重要なもの)
①韓国の優越権を認める。
②旅順・大連の租借、満州の鉄道利権ゲット。
※賠償金が得られなかった
☆世界への影響
①イギリスが同盟国となった
日英同盟(1902年)
②戦前、アメリカも資金援助してくれた。
③勝利したことにより、名実ともに列強の仲間入りを果たした。
→関税自主権も完全回復に成功
☆日本国内の影響
①賠償金がとれなかったことへの不満が爆発した。
日比谷焼き討ち事件
②戦費がかさんだせいで、税負担が重くなった。
いちおう書いておくと…
※当初、勝ち目が薄かったこともあり、反戦を表明する人たちも現れた。
→1 文学者…与謝野晶子
2 キリスト教…内村鑑三
3 社会主義者…幸徳秋水
次回は、これらにより、韓国がどうなったかということをもとに、
日本の政策をまとめてみたいと思います。
補足…
今回の学習とは直接関係ないが、
日本の社会主義について…
社会主義とはどのようなものかは、
このようにみんな平等な社会をつくるためには
天皇制を否定しなければならないというのが、
この時代における共産主義の強烈なネックだった。
もちろんせっかく資本主義化して産業が発達しているのに水もさされたくない。
なので、徹底的に弾圧されていく。
上に挙げた社会主義者、幸徳秋水
(一度フジモンに見えたら、そうしか思えない)
結局、天皇暗殺を計画したとして、
大逆罪に問われたのだ。
のちにこれは無実であることが判明しているのだが、
このようにして、社会主義者は
罪をでっち上げられてまで弾圧されたようだ。
[これを大逆事件(1910年)という]