とうとう
避けて通れない
昭和時代(2)太平洋戦争そして終戦編
に入ることとなる。
世界恐慌のあおりを受け、
日本は次のような状態になってしまったことは
前回までで学習した。
①民主主義の状態でなくなり、軍部が政治に大きな影響を与えるようになった。
(なんせ、軍から総理大臣がでる状況だ)
②満州事変、満州国建国、国際連盟脱退を経て、世界から孤立していってしまった。
とはいえ、まだそんな泥沼状態には陥っていない。
今回足を踏み込んだ沼こそが、太平洋戦争へのいざないとなった…
と考えるので、教科書とは違い、
ここから新章としたいと思います。
もちろん、
日本は進んだ先が「底なし沼」とは思っていなかったからこそ
その方向へ進んだということだ。
ここが沼の入り口。
それは、橋だった。
1937年7月7日
この橋にて突如銃声が鳴り響いたのだ。
しかも、日本兵が1人見当たらない…
やりやがったな
中国!
ここから武力衝突が勃発!
これが盧溝橋(ろこうきょう)事件である。
(なお、のちほど日本兵は無事発見だったが)
そして、これをきっかけに、
中国に進軍することになった。
この戦いを
日中戦争(1937年)
とよんでいる。
最初こそ、上海→南京→重慶へと
トントンと進軍したが、
どうしたことか…
ここから先、思い通りにならないではないか。
沼突入である…(ざわざわ)
そこで調べたいのが、次の2点である。
①なぜ戦争が日本の予想に反して泥沼化したのか。
②泥沼化した日本は、どんな手段に出たのか。
①なぜ戦争が日本の予想に反して泥沼化したのか
実は、当時中国は一枚岩ではなくなっていたはずなのだ。
孫文なき中国では、この男が国内統一を進めていた。
蔣介石(しょうかいせき)という男だ。
※教科書では、こんな字なのである。
率いていたのが中国国民党
それに対して、共産主義陣営が国民党を倒そうとしていた。
その中国共産党の党首がこの男。
毛沢東(もうたくとう)だ。
日本でもそうだったが、
資本主義陣営と社会主義陣営は
まさに火と油
こうして内線がおこなわれていたわけだが、
日本が中国進出をねらうとなれば、
話が変わってくる。
クラスで馬が合わない人同士でも、
体育大会では、他のクラスに勝つために協力するでしょ?
それどころか、中国は自分の国の存亡が関わっている。
そこで2人が一時的だが手を取り合うわけである。
それをこう呼んだのだ。
これに加え、重慶にはこんなことが起きていた。
蔣介石をこっそり
援助して
やろうではないか
アメリカらが重慶にこっそり援助物資を送っていたのだ。
これが蔣介石を援助するってことで、
援蔣ルートってあとで出てくるので、
意味を知っておこう。
この2つの予想外なことが、
日中戦争泥沼化の2大原因であろう。
なお、日中戦争は、1945年の終戦まで続いている。
で、日本は深みにはまってしまったのだ…
失敗を取り戻すには、もう一勝負かけなければならない…
ギャンブルの失敗談のような話である。
で、日本はどうしのごうとしたかだ。
②泥沼化した日本は、どんな手段に出たのか。
日本は、もう手当たり次第できることをやるしかなくなる。
そこで当時の近衛文麿内閣は、こうするしかなかった。
人も、モノも、
政府がが統制運用
できる
ことにしよう
この法律が
国家総動員法(1938年)
お国のために兵隊に連れて行かれるのも、
工場で働かされるのも、
この法律が根拠である。
もう一つ、
お国のために戦っている今、
政党で政治を争っている場合ではない。
みんなで一つになろう。
こうして、政党は解散し、
みんなで1つの組織である
大政翼賛会(1940年)が
できあがったのである。
これにて、日本の全体主義も完成となってしまった。
このような状況を
戦時体制とよんでいる。
こうして、
よく国語の教科書であったような、
一輪の花やちいちゃんのかげおくり状態となるのである。
東書には、朝鮮の人を
「天皇の下に日本人とする」
ってことで、
皇民化政策を行った
ということと語句を知っておきましょう。
とはいえ、
戦争が長期化すれば、
不利なのはもちろん日本である…
そして、どうしていったのか、
次回の学習としたいと思います。
どうして日本は、泥沼の戦時体制へ入ってしまったのか
☆きっかけ
直接的原因…盧溝橋事件(1937年)
おきたこと…日中戦争(1937年)
☆泥沼化の原因
①蒋介石(国民党)と毛沢東(共産党)の停戦協力
抗日民族統一戦線の結成
②アメリカらのこっそり支援があった
援蒋ルート
☆日本の政策
①国家総動員法(1938年)
②政党を解散して
大政翼賛会(1940年)
→全体主義化
③皇民化政策
☆今後の課題
①様々なものがやっぱり足りなくなる。
②アメリカのせいで泥沼化していることをどうにかしなければならない…