とうとうこの人が登場する。
織田信長である。
「織田が壊し…」と前に述べたが、
当時の既成概念を壊し、
新しいものを作っていった人物であろうか。
有名になった「桶狭間の戦い」でもそうだ。
なんせ、軍の規模は諸説あるが、織田軍の軍勢は、今川軍のたった10分の1。
1対10でケンカしても、
1人の方はフルボッコだろ…
まともにやって勝てるはずがない戦いだった。
フツーの人の考えは、
城にこもって、負けるのを待つしかない…
ところが信長は、
城を出て戦うぜ。
ときたもんだ。
それが、天気やら何やらに味方され、
今川義元を討ち取ってしまった。
さて、その後、嫁さんの実家であったが、義理のお父さんが討ち取られたあとの
岐阜の斎藤さんをやっつけ、その勢いで、京都に行くのだった。
なお、これが、岐阜城からの眺め。
とはいえ、
信長の野○をはじめ、
ゲームの世界では、
簡単に京都に進軍できるが、
本来はそうはいかない。
やっぱりちゃんとしたたてまえがないと、
大問題なのであるのだ。
なんかいい理由がないだろうかなあ
…あった!いいヤツがいた!
私を京都へつれてって。
将軍のあとつぎ争いに敗れていた足利義昭である。
そうして、足利義昭を連れていくという大義名分を得て、
京都に進軍するのだった。
要は…
利用されたのが、
足利義昭だ。
(これにて、足利義昭が15代将軍となる。)
最初はうまくいっていたようだが、
まもなく信長が義昭の動きにイチャモンをつけていく。
どんどん2人の仲が悪くなってくると、
もうがまんならん。みんな、信長をやっつけてくれ!
と、あちこちの大名に、お手紙大作戦をとるになる。
朝倉さんらも敵になる中、とうとうこの男が動き出した。
※朝倉氏との話は、教科書にないけど、下に追記します。
ちょうど京都へ行きたかったところだ、いい口実ができた。まかせとけ。
甲斐(山梨県)の虎、武田信玄だ。
強みはいろいろあるが、何よりもすごかったのが
武田の騎馬軍団だ。
山梨県なので、馬はたくさん手に入る。
槍を持って、馬で突っ込んで来られたら、ひとたまりもない。
当時最強軍団といわれるほどだ。
信長は、家康と協力して武田信玄と戦ったが、
ひとたまりもなかった。
(三方ヶ原の戦い)
家康なんて、う○こやお○っこをもらしながらこんな状況である。
しかし、しばらくたつとなぜか武田軍が引き返していくではないか。
なんと武田信玄が病死したようだ。
そして、鬼がいなくなった間に、
こんなことを呼びかけた足利義昭を、
信長は京都から追い出すことに成功。
これにて
1573年室町幕府がほろびることとなる。
しかし、また息子が来るに違いない。
なんせ、まだ足利義昭は幕府を立て直すため
お手紙作戦を続けている。
そして、その2年後、ついにこの時が来てしまった…
武田信玄の息子(勝頼)が再び攻めてきたのだ。
しかし、信長も2度と同じ手をくらうはずがない。
それが、みんなもご存じのこれ!
この最強騎馬軍団をたおすために、
鉄砲を3000丁用意していたのだ。
当時の火縄銃は、1度うったら1~2分はうてない。
ほぼ1回つかいっぱなしの武器だった。
これが火縄銃の撃ち方だ。(you tube)
まあ、1回使うだけでもめんどくさい。
みんな戦いに鉄砲持っていったとしようよ。
1発はずれただけで、○亡確定やん…
それが、どうしたことか、途切れずにずっと弾が飛んでくるではないか。
これが、長篠の戦いだ。
鉄砲をこれだけ使わなければならなかったのは、
相手が最強だったからだ。
これが常識破り、その2。
で、これから天下を従えるには、象徴となるものが必要。
そこで、滋賀県に安土城を作った。
しかも、これまで商売を独占してもうけていた
「座」という組合を廃止し、市での税も免除して、
関所も廃止し、城下町の経済を発展させた。
これが楽市楽座(常識破りその3)だ。
こうして天下を目前にひかえ、とうとうこの日がやってくる…
1582年…イチゴパンツの年だ…
家臣の明智光秀に本能寺で討たれてしまう。
(現在の本能寺は、能の字がちょっと違う)
享年47歳…
中学校教科書での要点をまとめると
織田信長は、どうやって権力を手にしようとしたのか
・駿河国(静岡県)の今川義元を桶狭間の戦いで破って有名になる。
・足利義昭を15代将軍にする。
・1573年、足利義昭を京都から追い出し、室町幕府を滅亡させる。
これが抜け落ちるので注意
・長篠の戦いで武田勝頼をやぶる。
・近江国(滋賀県)に安土城を作り、楽市楽座を実施。
・1582年、本能寺の変で明智光秀に討たれる。
なお、一揆の原因となったり、僧兵が戦いを挑んでくるので、仏教勢力が大嫌い。だから、キリスト教にも寛容。
おまけ
信長は、実は朝倉さんと浅井さんにより、大変なこととなったことがある。
あれ、浅井さんって、妹の旦那やん!
そこがポイント…
妹の旦那なので、浅井さんとは同盟関係。
それで心配することなく、足利義昭の味方をする
福井県(越前国)の朝倉さんを
やっつけにいった。
と、福井県に入ったところで、
あずきが入ったふしぎな袋が届くんだ。
そのあずきの袋は、上だけでなく、下もひもでむすばれている…
そこで信長は気づいたらしい。
浅井長政め、朝倉の味方をするのか。
つまり上から朝倉、下から滋賀県の浅井によって、
挟み撃ちにされると。
ここで命からがら逃げ延びたとの話がある。
撤退軍の「しんがり」を引き受けたのが、豊臣秀吉だ。
この様子は、『花の慶次』でも家康が鉄砲を撃って
命がけで戦っている様子が描かれている。
で、福井県にある金ヶ崎宮で売っているお守りも、
これにちなんで上下がひもで結ばれている特殊な形をしているのだ。
なお、現在では浅井長政をテレビでも
「あざいながまさ」
と発音、表記するようになったが、
私が小中学校のころは、
「あさいながまさ」だった。
でもNHKが
わが殿、小和田哲男先生が、
「地名から考えると、あざいと発音するのが自然」
という説を採用し、
あざいながまさ
となったと大学の講義のとき聞いたよ。
すべての終わりは
すべての始まりでしかない