※ 《中学歴史(社会)》それぞれの第二次世界大戦①:ドイツ・イタリア

昭和時代(2)太平洋戦争そして終戦編
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教科書とは順序が違うが、

本サイトでは、先に日本の動きに焦点を当てて

第二次世界大戦を見た。

ここで、改めて世界的視野で

ポイントだけ押さえておきたいと思います。

もう、これまでの学習で、対立構造は

だいたい予想がついてると思います。

ズバリこうでしょう。

ファシズム諸国 VS 反ファシズム勢力

わかりやすいでしょ?

つまり おおむね

ドイツ・イタリア+日本 対 それ以外の国 

と思えば、中学校ではOK。

ドイツとイタリアは

<strong>ムッソリーニ</strong>
ムッソリーニ

ローマ(イタリア)とベルリン(ドイツ)を結ぶ線は、枢軸(車輪の軸)だ!

って言ったことから、

ファシズム諸国=枢軸国側

とよばれる。

それ以外は相変わらず連合国

イタリアの動き

○エチオピア侵攻(193年)

 からの、ローマ=ベルリン枢軸

くらいでいい。

まだ世界大戦ではない。

ではドイツはどうか

ドイツの動き

ホントはいろいろ併合、割譲してるけど、

独ソ不可侵条約(1939年)

 を結び、ソ連側の防衛を軽くした上で、

○ポーランド侵攻

 ※ポーランドはけっこう出題される

このポーランド侵攻に対して、

イギリス、フランスがドイツに宣戦布告したことが、

第二次世界大戦のはじまりである。

なので、当初は、

第二次世界大戦

ドイツ VS イギリス・フランス

なのである。

で、ドイツがフランスに侵攻し、優勢なところで、

イタリアも参戦

(まもなくフランス降伏)

その後、いきづまったドイツは

日独伊三国同盟(1940年)

を結び、

結局独ソ不可侵条約を無視し、

ソ連に侵攻した1941のであった。

今後の話は、日本の話に戻った上で、

おいおい最終結果をあげておこうと思います。

☆それぞれの第二次世界大戦①

1935年 

イタリアがエチオピア侵攻

1939年

独ソ不可侵条約からの

ドイツがポーランド侵攻

これに対して

イギリス・フランスがドイツに宣戦布告

1940年

ドイツがフランス侵攻(のち降伏)

イタリアが参戦

日独伊三国同盟

1941年

ドイツが独ソ不可侵条約を破棄し、

ソ連に侵攻

☆ドイツに関しておさえておくこと

①ユダヤ人を徹底して迫害した

 アンネの日記にその様子が表れている

 杉原千畝がユダヤ人を日本にこっそり送った

②ドイツの占領政策に対し、抵抗運動がおきた。

 レジスタンスという)