4 《中学歴史(社会)》天武天皇・持統天皇はどんな功績を残しているのか

飛鳥・奈良時代
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前回の学習で、

中大兄皇子(天智天皇)が

蘇我氏に奪われかけた権力を取り戻し、

天皇中心の国作りを進めた話までは行った。

今回はその死後の世界である…

次に登場するのは、

天智天皇の弟といわれる天武天皇と、その妻持統天皇である。
ひとことでいうと、この2人の功績は
天皇中心の国作り、そして律令国家を完成させた
ということである。
高校では、功績をいっぱい勉強するのだが、中学校ではあまり扱いが多くない。
だからこそ、この年代を中学生は空白にしてしまう。

天武天皇だが、天智天皇の弟よ?
にもかかわらず、天智天皇の息子の大友皇子との戦いは
壬申の乱
(壬申って、ただ単に「みずのえさるの年」に起きたってだけね。)
とよばれるんよ。
ここからは、少し飛躍した解釈するよ。
力で天皇の座を奪い取ったからこそ、
自分を正当化する必要があったのかもしれない。
だから、
古事記・日本書紀を作らせて、

自分を正当化させた。なんかそんな気がしてくるでしょ?

その後、妻の持統天皇
藤原京(唐の都にならった都)をつくる。

これが藤原宮跡(奈良県橿原市)


で、持統天皇の次の天皇が
大宝律令(701年)を作ることによって、
律令国家が成立するわけだ。
つまり
天皇(天皇一族)と貴族で政治をしていくシステムが完成するわけだ。
持統天皇は太字ではないのだけど、覚えておくと、この流れが非常にすっきりする。
そして、持統天皇の功績ではないが、

大宝律令まで持統天皇の少しあとの時代だと

ひもづけしておくといい。
これで並び替え問題が出てもすっきり!

天武天皇・持統天皇はどんな功績を残しているのか

天武天皇
・天智天皇の息子(大友皇子)を戦って勝利して、天皇になる。

 壬申の乱
古事記、日本書紀を作るように指示
☆持統天皇
藤原京をつくった
(この天皇の次の天皇の成果だが、701年大宝律令ができるのをひもづけると、流れがすっきりする)
  律令国家の完成