前回の学習で、
中大兄皇子(天智天皇)が
蘇我氏に奪われかけた権力を取り戻し、
天皇中心の国作りを進めた話までは行った。
今回はその死後の世界である…
次に登場するのは、
天智天皇の弟といわれる天武天皇と、その妻持統天皇である。
ひとことでいうと、この2人の功績は
天皇中心の国作り、そして律令国家を完成させた
ということである。
高校では、功績をいっぱい勉強するのだが、中学校ではあまり扱いが多くない。
だからこそ、この年代を中学生は空白にしてしまう。
天武天皇だが、天智天皇の弟よ?
にもかかわらず、天智天皇の息子の大友皇子との戦いは
壬申の乱
(壬申って、ただ単に「みずのえさるの年」に起きたってだけね。)
とよばれるんよ。
ここからは、少し飛躍した解釈するよ。
力で天皇の座を奪い取ったからこそ、
自分を正当化する必要があったのかもしれない。
だから、
古事記・日本書紀を作らせて、
自分を正当化させた。なんかそんな気がしてくるでしょ?
その後、妻の持統天皇が
藤原京(唐の都にならった都)をつくる。
で、持統天皇の次の天皇が
大宝律令(701年)を作ることによって、
律令国家が成立するわけだ。
つまり
天皇(天皇一族)と貴族で政治をしていくシステムが完成するわけだ。
持統天皇は太字ではないのだけど、覚えておくと、この流れが非常にすっきりする。
そして、持統天皇の功績ではないが、
大宝律令まで持統天皇の少しあとの時代だと
ひもづけしておくといい。
これで並び替え問題が出てもすっきり!
天武天皇・持統天皇はどんな功績を残しているのか
☆天武天皇
・天智天皇の息子(大友皇子)を戦って勝利して、天皇になる。
壬申の乱
・古事記、日本書紀を作るように指示
☆持統天皇
・藤原京をつくった
(この天皇の次の天皇の成果だが、701年大宝律令ができるのをひもづけると、流れがすっきりする)
→律令国家の完成