こうして、松平定信の「寛政の改革」以降、
外国人インバウンドが増加していった。
この前のモリソン号事件の年(1837年)だが、
実は国内でもとても大きなできごとがあったのだ。
この男が反乱を起こしたのだ。
通称大塩の乱(大塩平八郎の乱)だ。
ぷろふ
元大阪奉行所の役人
陽明学者《儒学の一派》
役人組織のやり方に反対してやめる
塾を開いて陽明学を教える
4年前から天保の飢饉に直面
で、この人の反乱から、幕府の問題点を洗い出してみましょう。
仲間と協力して、
民衆を困らせている
役人をやっつけてやる。
そして、金銀や蔵屋敷に
米をたくわえて
ぜいたくしている
大阪の町人を攻撃して
みんなに分け与えるぞ!
協力してくれる人がいたら
どこからでも駆けつけ大歓迎!
この資料から読み取れる当時の状況ってとても大事なのに、
東京書籍の教科書からなくなってしまったんだ…。
さて、問題を読み取れたでしょうか。大きく2点!
1 役人がくさっていて、庶民が困っている。
2 商人が米をたくわえたせいで、庶民が困っている
→物価が上がりまくり!
そして、もう一つ問題となったのが、
3 外国人対策
この問題が一気に幕府に降り注いできた。
もちろん
☆ 財政難
も、絶賛進行中!
もう改革まったなしだ。
そして、とうとう次の改革を実行せざるを得ないのである。
ここで登場するのがこの人だ。
浜松城主(静岡県)水野忠邦だ。
改革を天保の改革と名付けている。
さて、ではなぜこのような問題が起きているかということだ。
これがこれまでの学習から予想できればすばらしい。
物価が上がった理由って何だろう…
役人が思い上がっている状況はなぜできたのか…
では、実際に調べてみましょう。
上のギモン「物価高」についての答えは見つけられたでしょうか。
「米の買い占め」とあるように、いつぞやからか、
買い占めOK(公認)となったはず。
田沼意次が行った株仲間の奨励だ。
水野もここに目をつけた。
やるべきことが、
株仲間の解散だ。
次に外国人対策。
幕府には驚くべき情報が入っている。
何かというと、
東アジアで絶対的な「清」という国が
イギリスに戦争で負けたということだ。
東アジアの世界では、
「清《中国》」=ジャ○アン
的な絶対的存在であるのだ。
アジア人にとって、ヨーロッパ人のような
ヨソ者は、格下と勝手に思い込んでいる
ところがあった。
ところが負けた。
ジ○イアンで勝てないなら、の○太では歯が立たない…
ではどうするか…
えっと…外国船が来たら、
薪や水をあげて、
はやく帰ってもらってね。
つまり異国船打払令をやめるしかなかった…
それと同時にこんな手も使った。
国防で大事な江戸大坂周辺の土地は、
幕府のものにするぞ!
この政策が、極めて不評だった。
なんせ、江戸大阪近辺って、豊かな土地が多いからねえ。
国防が目的か、
理由をつけていい土地を手に入れるのが目的か、
どうだったろうね。
今までなら、力ずくでも
この政策を実行することができた。
しかし、猛反対にあい、実行できなかった。
これにて幕府の権威が地に落ちることとなる。
その他の政策もふくめて
以下にまとめますが、
注目すべきは他の改革と違うことである。
水野忠邦による天保の改革(1841年~)
役人がくさっている対策
・キビしい倹約令を出した。
商人買い占め物価上昇対策
・株仲間を解散させた(重要)。
外国人対策
・異国船打払令をやめた。
◎理由:「アヘン戦争(1840年)で清がイギリスに敗れたため」(超重要)
・江戸大阪周辺を幕府のものにしようとした。(重要)
財政難対策
・江戸大阪周辺を幕領にしようとした(2つ理由あり)
・出稼ぎ農民を村へ帰した(寛政の改革と似てる)
・派手な風俗を取り締まった。
※幕府への文句を言う本や、風紀を乱す本(エ○チな小説等)を禁止。
結果
・江戸大阪周辺を幕府のものにしようとしたが、
激しい反対にあって失敗。
・それとともに、幕府の権威が低下していることが
バレてしまった。
いかんせん、
時代の流れに沿っていなかったということだ
さあ、この10年後、とうとう
あのYOUがくるのだが、
次章から、
やはりやっておかなければならない
「YOUはどうして日本へ2」がスタート!
享保・寛政の改革を
めざすんだい!